国立西洋美術館の前庭に設置されていたオーギュスト・ロダン作「カレーの市民」。
美術検定のテキストにも掲載されていました。そのことに驚いたのをキッカケに調べてみました。
オーギュスト・ロダン作「カレーの市民」とは

ロダンといえば「近代彫刻の父」と言われる、19世紀を代表するフランスの彫刻家です。
私の大好きな国立西洋美術館(前庭)には、ロダンの作品が3点展示されています。
- 地獄の門
- カレーの市民
- 考える人
国立西洋美術館の前庭に設置されている「カレーの市民」は1953年(昭和28年)に鋳造され、1959年(昭和34年)に設置されたものです。
実は「カレーの市民」を観ることができるのは国立西洋美術館だけではありません。カレー市庁舎前や美術館など世界で12ヶ所(国立西洋美術館含む)、「カレーの市民」が設置されているのです。
どうやらオリジナルの鋳型から作られる像の数は【12】と決まっているとのこと。
ロダンは「カレーの市民」を観る人と同じ目線に設置することを望んでいたようです。国立西洋美術館の「カレーの市民」は台座の上に設置されています。
ところで…「カレーの市民」は何を表現しているのでしょうか?
それは、1337年(延元2年)~1453年(享徳2年)にフランス×イギリス間で起きた百年戦争に由来しています。
百年戦争が勃発して約10年経った1347年(正平2年)、フランスにとって重要な港湾都市カレーがイギリス軍に1年以上も包囲されたのでした。【カレー包囲戦】
そのような状況の中フランス国王フィリップ6世は、カレー市に何とか持ちこたえるようにと指示します。しかしフィリップ6世は、イギリス側の包囲を解いてカレーを解放することはできませんでした。
飢えに苦しむカレー市は降伏の交渉に応じざるを得なくなります。
イングランド王は、カレー市の主要人物6人の出頭を条件にカレー市民を助けると持ちかけました。6人の主要人物にとっては死(処刑)を意味する条件でした。
イングランド王はこの6人に対して、裸同然の格好で首に縄をかけ、城門の鍵を持参するように要求したのでした。
それがロダンの「カレーの市民」の背景です。
ロダンは死を覚悟した6人のことを想像して「カレーの市民」を制作したのでしょう。
そのような時代背景を知ると、作品に対する観方が変わってきますよね。
まとめ
- ロダンの「カレーの市民」は美術検定のテキストに掲載されていた。
- 「カレーの市民」は国立西洋美術館を含め、世界12ヶ所に設置されている。
- 「カレーの市民」の題材は、フランス・イギリス間の百年戦争に基づいている。
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