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すぐわかる!エドヴァルド・グリーグとは|ペール・ギュントや抒情小曲集で有名な作曲家の生涯について

すぐわかる!エドヴァルド・グリーグとは
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ノルウェーの作曲家エドヴァルド・グリーグとは、どのような生涯を送ったのでしょうか?

エドヴァルド・グリーグは、自国ノルウェーの民族音楽からインスピレーションを受けて、国民学派(民族主義的な音楽)を作曲しています。

グリーグと言えば、学校の音楽時間に「ペール・ギュント」を聴いた記憶のある方もいらっしゃることでしょう。

ここでは、グリーグの生涯や代表作をわかりやすくご紹介します!

エドヴァルド・グリーグの誕生と音楽教育

ノルウェー・ベルゲンの街並みノルウェー・ベルゲンの街並み

エドヴァルド・ハーゲルップ・グリーグは、1843年(天保14年)6月15日に当時スウェーデンの統治下にあったノルウェーのベルゲンで誕生しました。

ノルウェー・ベルゲン旧市街の倉庫群【ブリッゲン】ノルウェー・ベルゲン旧市街の倉庫群【ブリッゲン】

ベルゲンは、ノルウェー・ヴェストラン地方ホルダラン県の都市(基礎自治体)です。
1217年(建保5年)から約80年間はノルウェーの首都でした。

ベルゲンの交易については11世紀初頭にまで遡ることができるようです。
都市化がはじまったのは1070年(延久2年)頃だと言われています。

ベルゲンには「ブリッゲン」と呼ばれるベルゲン旧市街の倉庫群があり、1979年(昭和54年)に世界遺産に登録されています。

グリーグは5人兄弟の4番目で、兄と姉、妹がいます。父方のルーツはスコットランド系のようです。

1858年(安政5年)には、「ノルウェー初の国際的スター」と言われたオーレ・ボルネマン・ブル(作曲家・ヴァイオリニスト)に才能を見出され、ライプツィヒ音楽院で学ぶことになりました。

ライプツィヒ音楽院では、約3年半の間でピアノと作曲を学びました。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
国際的スターに才能を見出されて進学するなんて、夢みたいでスゴイことだよね。

グリーグ、デンマーク・コペンハーゲンに

デンマーク・コペンハーゲンデンマーク・コペンハーゲン

グリーグは1863年(文久3年)の約3年間、ノルウェーからデンマーク・コペンハーゲンに移り住みます。

コペンハーゲンでは、指揮者であり作曲家でもあったニルス・ウィルヘルム・ゲーゼから作曲を学びました。さらには自身の作品の作曲や結婚相手との出会いもありました。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
グリーグの結婚は1867年(慶応3年)のことです。
お相手の名前はニーナ・ハーゲルップです。

グリーグのコペンハーゲン時代の作品を3つ列挙してみましょう。

1863年~1864年
【文久3年~文久4年・元治元年】
交響曲 ハ短調
※グリーグにとって唯一の交響曲です。
1865年
【元治2年・慶応元年】
ピアノ・ソナタ(作品7)
※グリーグにとって唯一のピアノ・ソナタです。
1865年
【元治2年・慶応元年】
ヴァイオリン・ソナタ 第1番

グリーグ、ノルウェーに戻る

ノルウェー・ベルゲン(ケーブルカーからの眺め)ノルウェー・ベルゲン(ケーブルカーからの眺め)

1867年(慶応3年)、グリーグはクリスチャニア(現在:ノルウェーの首都オスロ)に移ります。クリスチャニアでは、フィルハーモニー協会の指揮者に就任しました。

グリーグは次の人たちと親交を深めたのでした。

  • リンネマン【民謡蒐集家】
  • ビョルンスティエルネ・ビョルンソン【詩人・作家/1903年(明治36年)ノーベル文学賞受賞】

ビョルンソンは、ノルウェー国歌「我らこの国を愛す」を作詞した人物です。
1872年(明治5年)にグリーグは、ビョルンソンの同名の戯曲をもとにした劇音楽「十字軍の兵士シグール」を作曲しています。

グリーグを語る上で重要な作品として「抒情小曲集」を外すことはできないでしょう。グリーグはこの作品を1867年(慶応3年)~1903年(明治36年)にかけて作曲しています。全部で66曲のピアノ曲集で、数曲ごとにまとめられて全10集出版されています。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
1867年(慶応3年)には「抒情小曲集」の第1集が出版されました。

1877年(明治10年)からの約3年間、グリーグはハルダンゲル地方に移り住みます。その地で過ごすしたグリーグの中では、民族音楽や民族楽器に対する関心が高まっていきました。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
ハルダンゲルと言えば、フィヨルドでも有名だね!

グリーグの晩年と代表曲の紹介

グリーグ像グリーグ像

グリーグは1884年(明治17年)、トロールハウゲン(妖精の丘)と呼ばれるベルゲン近郊の地に家を建て移ります。この地で約22年間、ニーナ夫人とともに過ごしました。

1901年(明治33年)頃からグリーグの健康状態は悪くなっていきます。同年、前述した「抒情小曲集」の最後となる第10集が出版されます。

1905年(明治38年)、グリーグの祖国ノルウェーが独立を果たします。グリーグはスウェーデンからの独立に、音楽面で民族的な精神的高まりをサポートしていたと考えられています。

祖国独立から2年後の1907年(明治40年)9月4日、グリーグはベルゲンで亡くなりました。

グリーグの代表作をいくつかご紹介します。

1868年
【慶応4年・明治元年】
ピアノ協奏曲 イ短調
1874年~1875年
【明治7年~明治8年】
劇音楽「ペール・ギュント」
1888年
【明治21年】
「ペール・ギュント」第1組曲
1892年
【明治25年】
「ペール・ギュント」第2組曲
1884年~1885年
【明治17年~明治18年】
ホルベルク組曲「ホルベアの時代から」
原曲は1884年(明治17年)作のピアノ独奏曲。
1885年(明治18年)に弦楽合奏版に編曲。

グリーグという偉大な作曲家の肖像は、旧500クローネ紙幣に印刷されていました。

それほどまでにノルウェーで認められれいたグリーグですが、その人柄は謙虚な人物だったようです。

まとめ

エドヴァルド・グリーグとは
  1. グリーグはノルウェーの作曲家。
  2. ペール・ギュントや抒情小曲集が有名。
  3. ノルウェーのお札にグリーグの肖像が印刷されていた。

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