「蝶々夫人」「ラ・ボエーム」「トスカ」などの歌劇(オペラ)で有名なプッチーニ。イタリアを代表する音楽家のひとりです。
プッチーニの生涯をわかりやすくご紹介します。
プッチーニについて

プッチーニの名前は「ジャコモ・アントニオ・ドメニコ・ミケーレ・セコンド・マリア・プッチーニ」です。
わたなびはじめ
名前の長さに少し驚くよね。
プッチーニはイタリア・ルッカで1858年(安政5年)12月22日に、18世紀から続く宗教音楽家の家系に誕生しました。
プッチーニは幼いときに父親を失っていて、叔父さんが教育してくれたようです。教会オルガニストの仕事もしていました。
プッチーニが歌劇(オペラ)の作曲を目指すキッカケとなったのが、ヴェルディの歌劇「アイーダ」を観たことでした。1880年(明治13年)から3年間、ミラノ音楽院でポンキエッリとアントニオ・バッジーニから学んでいます。
プッチーニは歌劇「マノン・レスコー」の成功で波に乗ったかのように、「ラ・ボエーム」「トスカ」「蝶々夫人」を次々と作曲します。その陰には上述した二人の優秀な台本作家の協力がありました。
歌劇「蝶々夫人」の評判は初演当初はイマイチだったものの、徐々に人気を得ていきました。名作と呼ばれる歌劇を次々と作曲したプッチーニは、イタリアを代表する歌劇(オペラ)作曲家の地位を確立しました。
プッチーニはヘビースモーカーとして知られていましたが、1923年(大正12年)に喉頭癌だと診断されます。ベルギー・ブリュッセルで手術を受けましたが、1924年(大正13年)11月29日に亡くなりました。
プッチーニの代表作

プッチーニの代表作の一部をご紹介します。
歌劇「マノン・レスコー」 | 【初演】1893年(明治26年) |
---|---|
歌劇「ラ・ボエーム」 | 【初演】1896年(明治29年)2月1日 【指揮】アルトゥーロ・トスカニーニ |
歌劇「トスカ」 | 【初演】1900年(明治33年)1月14日 ローマ・コスタンツィ劇場にて |
歌劇「蝶々夫人」 | 【初演】1904年(明治37年)2月17日 ミラノ・スカラ座にて |
歌劇「トゥーランドット」 | 【初演】1926年(大正15年・昭和元年)4月25日 ミラノ・スカラ座にて |
まとめ
プッチーニとは
<0l>
0l>