ロシアを代表する作曲家のひとりムソルグスキーとは、どのような生涯を送ったのでしょうか?
わかりやすくご紹介します。
ムソルグスキーの生涯について

モデスト・ペトローヴィチ・ムソルグスキーは、1839年(天保10年)3月21日に生まれたロシアの作曲家です。
後に登場するバラキレフもね。
母親からピアノを習い、10歳でペトロパヴロフスク学校に入学します。ペトロパヴロフスク学校は、エリートを養成する機関だったようです。
ムソルグスキーは音楽を大切にしていましたが、軍人になることを考えていました。13歳で士官候補生になっています。
その後、ロシアの作曲家バラキレフと出会い、彼の指導を受けました。
1858年(安政5年)には軍を退役しています。
ムソルグスキー家はもともと地主階級の名家でしたが、ムソルグスキーの存命中に荘園の半分を失い没落してしまいます。
その後、ムソルグスキーはペテルブルクに移り下級官吏として収入を得ます。1865年(元治2年・慶応元年)には母親が他界し、苦しみのうちにアルコールに頼るようになります。
1874年(明治7年)には歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」が初演されますが、批評家には受けが悪く10回ほどの上演しかされませんでした。ところが観客には好評だったようで、ムソルグスキーの絶頂期を迎えます。
映画やほかのジャンルの音楽にも似たような状況は存在している。
時代も場所も違うけれど、例を1つ。
3枚目のアルバムが3週連続で全英1位を記録していたにもかかわらず、4枚目のスタジオ・アルバム発売に際してタイトル、アーティスト名をジャケットに記載しなかったレッド・ツェッペリン。
3枚目のアルバムに対するマスコミの不評が関係していると言われています。チャート1位だったのに…(一部のファンからも不評はあったみたいだけれどね)
ムソルグスキーはアルコール依存症の影響や身近な人々の死により、生活が荒れていったようです。1880年(明治13年)には公務員を辞めることとなります。
翌1881年(明治14年)に心臓発作で入院し、同年3月28日に亡くなりました。42歳でした。
ムソルグスキーの作品について

最もよく知られている、ムソルグスキーの代表作は次の通りです。
- 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」
- 交響詩「禿山の一夜」
- ピアノ曲・組曲「展覧会の絵」
【なびさんぽ】でご紹介しているムソルグスキーの作品。
組曲「展覧会の絵」 | 1874年(明治7年)作曲。 1922年(大正11年)、モーリス・ラヴェルが管弦楽用に編曲。 |
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まとめ
- ムソルグスキーはロシアの作曲家で「ロシア5人組」のひとり。
- 名家の出身。
- 歌劇「ボリス・ゴドゥノフ」や組曲「展覧会の絵」が有名。