17世紀スペイン・バロック期の画家フランシスコ・デ・スルバランとは、どのような生涯を送ったのでしょうか?
スルバランはおもに静物画や宗教画を描きました。
「スペインのカラヴァッジョ」とも呼ばれた人物で、作品には明暗の強調により劇的な演出がなされたものがあります。
ここではフランシスコ・デ・スルバランの生涯をわかりやすくご紹介します。
スルバラン、誕生~修業時代

フランシスコ・デ・スルバランは、1598年(慶長3年)11月7日にスペイン南西部・エストレマドゥーラ地方の小村フエンテ・デ・カントスで生まれました。
少年時代はアンダルシア地方で過ごし、1614年(慶長19年)から約3年間をセビリアの画家ペドロ・ディアス・デ・ビリャヌエーバに師事しています。
スルバラン、画家として

1617年(元和3年)にはエストレマドゥーラ地方のリェレーナ移りますが、1626年(寛永3年)には再びセビリアで活動することに。
1627年(寛永4年)、スルバランはセビリアのサン・パブロ・エル・レアル修道院の装飾依頼を受けます。これがスルバランにとって躍進するひとつの契機になったようです。
1630年代には、セビリヤに存在する複数の修道会からの依頼で描いています。大規模の注文も多く、その活躍により「修道士の画家」と呼ばれるほどに。
- 聖ペテロ・ノラスコ伝シリーズ制作【履靴メルセス会修道院】
- 聖具室の装飾【ヒエロニムス会修道院(グアダルーペ)】
etc...
彼の作品は多数国外に輸出されて、輸出先にも美術的影響を与えたみたいだよ!
1634年(寛永11年)には、マドリードのブエン・レティーロ宮殿のために「ヘラクレスの難業」の連作を描きました。
フランシスコ・デ・スルバランは、同時代のスペインの巨匠ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケスとも仕事上の関係があったようです。
全盛期を迎えたフランシスコ・デ・スルバランですが、バルトロメ・エステバン・ペレス・ムリーリョの登場により、その人気は衰えます。その影響により、甘美で厳粛さを軽減させるなど作風を変えたりもしました。
スルバラン、晩年と最期

自身の作風を変更するなどの対応をしたスルバランでしたが、その甲斐虚しく、1658年(明暦4年・万治元年)にはベラスケスのいるマドリードに引っ越します。
しかし残念ながら、全盛期のような活動はできませんでした。
フランシスコ・デ・スルバランは、1664年(寛永21年・正保元年)8月27日にマドリードで亡くなりました。
フランシスコ・デ・スルバランの作品紹介
フランシスコ・デ・スルバランの作品の一部を紹介しますね。
1629年 (寛永6年) |
聖ペドロ・ノラスコに現われた聖ペテロ 【プラド美術館所蔵】 |
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1630年代初期 | 聖女ルフィーナ 【アイルランド国立美術館所蔵】 |
1630年~1635年 (寛永7年~寛永12年) |
聖ブルーノと食卓の奇跡 【セビーリャ美術館所蔵】 ※制作時期については諸説あり。 |
1636年頃 (寛永13年頃) |
聖エウフェミア 【プラド美術館所蔵】 |
まとめ
- フランシスコ・デ・スルバランは17世紀スペイン・バロック期の画家で、「スペインのカラヴァッジョ」と形容される。
- セビリアで大活躍し、「修道士の画家」とも呼ばれた。
- 晩年はマドリードで過ごした。