17世紀スペイン・マドリードにおける盛期バロック期を代表する画家フランシスコ・リシとは、どのような生涯を送ったのでしょうか?
わかりやすくご紹介します。
フランシスコ・リシとは

フランシスコ・リシは、17世紀のスペインで活躍した画家です。
マドリードにおける盛期バロック期(絵画)を代表するひとりでもあります。
フランシスコ・リシとは、誕生~修業時代

フランシスコ・リシは1614年(慶長19年)にマドリードで誕生しました。
リシの家族は、芸術を身近に感じる生活をしていたのでしょう。父親はイタリア中部の港湾都市アンコーナ出身の画家アントニオ・リッチ(リシ)で、兄も画家や建築家として活動しました。
リシは父親の工房で見習いを始め、後にビンセンテ・カルドゥーチョのもとで絵画の修行を積みます。リシの師ビンセンテ・カルドゥーチョはイタリア出身で、スペインで宮廷画家の座にいた人物です。
師匠の影響もあってのことでしょうが、リシは宮廷との繫がりを持つことができました。
フランシスコ・リシとは、画家としての活動と最期

リシの師匠ビンセンテ・カルドゥーチョは、1638年(寛永15年)に亡くなります。
師匠亡きあと、リシは複数の画家と共同でマドリード王宮の装飾を行ないました。
フランシスコ・リシが画家としての活動を活発に行なうようになるのは1640年代からです。マドリードを中心に、その周辺地域も含めた教会などからの依頼を受けました。
リシの興味深い点は、絵画の分野だけにとらわれていなかったことです。イベントの総合プロデュース的な仕事もこなしました。
- 王族がマドリードに入城する際の街路の装飾を監督。
- ブエン・レティーロ宮の劇場舞台装飾のディレクターを務める。
絵画だけでなく、装飾全般の知識とアイディアを持ち合わせていたのでしょう。
リシはその画風に、ヴァン・ダイクやピーテル・パウル・ルーベンスといったバロック期フランドル絵画の巨匠たちのエッセンスを取り入れるだけでなく、ルネサンス時代に隆盛を極めたヴェネツィア派の絵画作品からも学び、吸収していました。
リシはトレド大聖堂(サンタ・マリア・デ・トレド大聖堂)とも繫がりを持っていたようです。1653年(承応2年)、リシは「大聖堂の画家」に指名されます。
リシが画家として最も輝いたのは1660年代に入ってからでした。
リシは1665年(寛文5年)、聖アントニオ・デ・ロス・ポルトゥゲセス聖堂(マドリード)のドームの装飾を、フアン・カレーニョとともに共同制作します。
しかし1670年代になると、ともに働いたことのあるフアン・カレーニョの名声が宮廷で高まります。リシにとっては、活躍の場を奪われるといったこともあったかもしれません。
それでもリシの芸術に対する意欲は衰えませんでした。エル・エスコリアル修道院の大祭壇画の制作に取り掛かったのです。
彼の死は突然訪れました。1685年(貞享2年)フランシスコ・リシは、上述の大祭壇画の制作半ばで作業中に亡くなりました。

まとめ
- フランシスコ・リシは、17世紀スペイン・マドリードにおける盛期バロック期を代表する画家のひとり。
- 絵画だけでなく劇場舞台装飾などの責任者も務め、マルチな才能を発揮した人物。
- 大祭壇画の制作作業中に亡くなった。