19世紀のアメリカで活躍した文芸絵画作家ジョン・クイドアとは、どのような生涯を送ったのでしょうか?
わかりやすくご紹介します。
わたなびはじめ
「文芸絵画作家」っていうのは、小説といった文学作品等から着想を得て絵を描く画家のことみたいだよ。
ジョン・クイドアとは

ジョン・クイドアは、1801年(寛政13年・享和元年)ニューヨーク州で誕生し、幼いうちにニューヨーク市に引っ越しています。
どうやら看板画家の仕事に就いていました。10代の終わり頃から4年間、肖像画家の弟子として働いたこともあったようですが、しっかりとした指導は受けられなかったようです。
20代中頃には肖像画家を名乗ったようですが、上手くいきませんでした。そのためジョン・クイドアは、看板を描く仕事で生計を立てていました。
わたなびはじめ
看板を描く仕事はアーティストでありながら職人的な印象も受けるよね。
自分の描きたいモノばかりを制作したわけではないってことなのかな。
もちろん画家の場合も、依頼を受けて制作することはあるけれど…
それにしても注文に応じて(文字や絵?)描くというのはスゴイことだと思うよね。
自分の描きたいモノばかりを制作したわけではないってことなのかな。
もちろん画家の場合も、依頼を受けて制作することはあるけれど…
それにしても注文に応じて(文字や絵?)描くというのはスゴイことだと思うよね。
ジョン・クイドアが文芸絵画作家として評価を得たのは亡くなった後のことでした。ジョン・クイドアは、1881年(明治14年)に亡くなっています。
ジョン・クイドアに対する現在のような評価は、1942年(昭和17年)にブルックリン美術館で開催されたジョン・クイドアの展覧会まで待たなければなりませんでした。
なびさんぽで紹介しているジョン・クイドア作品

【なびさんぽ】でご紹介しているジョン・クイドアの作品は次の通りです。
ドロシア | 制作年:1823年(文政6年)。 【ブルックリン美術館所蔵】 |
---|
まとめ
ジョン・クイドアとは
- ジョン・クイドアはニューヨーク生まれの画家。
- 肖像画家を志していた。
- 文芸絵画作家として評価されたのは、ジョン・クイドアが亡くなったあとのこと。