ルイス・カンフォート・ティファニーの「ニューヨーク・デュアン通り」を観たのは、1994年(平成6年)に東京都美術館で開催された「ニューヨークを生きたアーティストたち」展でのことでした。
「ニューヨーク・デュアン通り」が描かれた頃(1878年頃)とほぼ同時代の出来事を、参考までに2つ紹介しましょう。
- 1877年(明治10年):日本では西南戦争が起きます。
- 1879年(明治12年):エジソンが白熱電球を発明します。
約145年ほど昔のことです。
日本でも145年前の風景についてはピンとこない部分があります。都市部と地方ではかなり違いがあるでしょうし…
まして海外の風景となると、現在の情報を基準にイメージしてしまいます。ちょっとした時代背景を頭に思い浮かべながら「ニューヨーク・デュアン通り」を鑑賞すると、心にグッと迫るものがあるかもしれませんね。
ルイス・カンフォート・ティファニー作「ニューヨーク・デュアン通り」とは

■ルイス・カンフォート・ティファニー作「ニューヨーク・デュアン通り」
- 制作年:1878年頃
- サイズ:68.6 × 76.2cm
- 油彩、キャンヴァス
ルイス・カンフォート・ティファニーは、ニューヨーク風景画をシリーズで描いていました。今回ご紹介している「ニューヨーク・デュアン通り」もその一枚です。
現在のデュアン通り(デュエイン・ストリート)をGoogleマップで見たところ、連邦政府庁舎があり、その隣にはアフリカ人墓地国立記念碑がありました。いつ頃設置された記念碑なのかはわかりませんが、ルイス・カンフォート・ティファニーがデュアン通りを描いたことと、北アフリカをスケッチしながら旅をしたこととは何か関係があるのでしょうか?
デュアン通りのもう一方には、デュエイン・パークという公園があります。
「ニューヨーク・デュアン通り」が、デュエイン・ストリートのどの辺を描いたのか気になります。
正面に描かれているのはお店でしょうか。店であろう建物の暗い入り口にも人物が描かれています。店内の人と話をしているようです。
この作品には少なくとも4人の人物が描かれているようです。
描かれている建物の屋根は傷んでいるようにも見えます。デュアン通り付近の人々の暮らしぶりまではわかりませんが、この作品からは素朴な木の温かみが感じられます。
華やかではありませんが、風景画としてはすばらしい作品だと思います。
ルイス・カンフォート・ティファニーとは

19~20世紀のアメリカで、ガラス工芸や宝飾デザイナー、画家、金細工師として活躍したルイス・カンフォート・ティファニーの生涯については、『すぐわかる!ルイス・カンフォート・ティファニーとは』をご参照ください。

わたなびはじめの感想:L・C・ティファニー「ニューヨーク・デュアン通り」について

この作品「ニューヨーク・デュアン通り」を東京都美術館で鑑賞した頃の私は、ティファニーという名前に敏感に反応できるほど宝飾品の知識は持っていませんでした。
オードリー・ヘップバーンの「ティファニーで朝食を」という映画作品のタイトルは知っていても、「ティファニーって何?」という感覚でした。
それに比べて、私の身近にいる現代の若者は、男性でもティファニーの店舗に行ったりするようです。東京で生まれ育った人とファッションに鈍感だった田舎者との違いを感じます。
それはそうと作品の感想をお伝えします。
「ニューヨーク・デュアン通り」という作品には、不思議な魅力を感じます。華々しさは感じませんが、ちょっぴり寂しさの混じった落ち着きと生活の営みを感じます。
晴れ間の見えない狭い空。その手前には、車道に敷き詰められた石畳と茶色い木造の建築物が建ち並び、圧迫感を感じてもおかしくないのに、画面下部中央左寄りの白い看板に視線が向かうため、絶妙のバランスを感じます。
その横に植えられた花と手入れする男性。ニューヨークと言っても、素朴な生活風景が切り取られているようです。
「ニューヨーク・デュアン通り」を通じて想像する作中の人物たちの暮らしぶりは、「質素」だったのではないでしょうか?
ガラス工芸でも名を馳せ、「ニューヨーク・アール・ヌーヴォーの第一人者」とまで言われたルイス・カンフォート・ティファニー。彼が見つめていたのは華々しい世界だけではなく、もっと人に寄り添った世界だったのかもしれません。
最後に、わたなび流の感想をお伝えします。
ルイス・カンフォート・ティファニー作「ニューヨーク・デュアン通り」は、「モダンな部屋に飾りたくなる(欲しいと思える)作品」です。
全ては妄想だけれど…
まとめ
- ティファニー創業者の息子ルイス・カンフォート・ティファニーの絵画作品。
- 華々しさよりも現実の生活感を感じる作品。