17世紀のスペイン絵画における最大の巨匠ディエゴ・ベラスケス。
スペイン国王フェリペ4世の宮廷画家を務めた人物です。
ベラスケスは肖像画だけでなく、神話画や宗教画、歴史画なども制作しました。
ここではベラスケスの生涯をわかりやすく紹介します。
ベラスケス、誕生~画家としての独立まで

ベラスケスは「ディエゴ・ロドリゲス・デ・シルバ・イ・ベラスケス」という長い名前の持ち主で、1599年(慶長4年)6月6日にスペイン南部に位置するセビリア(セビーリャ)で洗礼を受けています。この日かそれに近い日に誕生したのでしょう。
現在のセビリアといえば、スペイン・アンダルシア州の州都です。
数々のオペラの舞台にもなっています。
ベラスケスは10代の早い時期に、画家であり美術研究家でもあったフランシスコ・パチェーコの弟子となりました。1617年(元和3年)、18歳でセビリアの画家組合に登録され独立し、翌年に師匠の娘と結婚したのでした。
ベラスケス、フェリペ4世の宮廷画家に

ベラスケスは、1622年(元和8年)と1623年(元和9年)に首都マドリードを旅行しています。
2度目のマドリード旅行の際に、スペインの首席大臣だったオリバーレス公伯爵ガスパール・デ・グスマンの紹介でフェリペ4世の肖像画(現存せず)を描きました。
それを機に宮廷画家となったベラスケスは、約30数年間に渡り国王夫妻や宮廷人たちの肖像画や王宮・離宮を飾る作品を描き続けました。
フェリペ4世は度々ベラスケスのアトリエに足を運ぶことがあったようです。ベラスケスの晩年には宮廷装飾の責任者として厚遇しています。
1628年(寛永5年)、ベラスケスはピーテル・パウル・ルーベンスと出会い親しくなります。ルーベンスは当時スペイン領だったネーデルラントの外交官として派遣されてきていたのでした。
ベラスケスのイタリア旅行

翌1629年(寛永6年)、ベラスケスはイタリア行を許可されます。約2年をかけてヴェネツィアやローマを巡った旅行の目的は、おもに絵画修業と美術品収集でした。
スペインに戻ったベラスケスは、1634年(寛永11年)からブエン・レティーロ離宮の「諸王国の間」に飾られる絵画制作の依頼を受けます。
その際に描かれたのが「ブレダの開城」でした。
1648年(正保5年・慶安元年)~1651年(慶安4年)にかけて、ベラスケスは2度目のイタリア旅行に出ます。イタリアでは美術品収集を行ないつつ、絵画制作も行なっていました。
ベラスケスの晩年と最期

帰国後の1652年(慶安5年・承応元年)には王宮配室長という役職に就き、多忙な日々を送ったことが想像できます。
晩年も精力的に絵画制作に取り組んだベラスケス。1659年(万治2年)にはサンティアゴ騎士団の称号を授与されました。
1660年(万治3年)、フランス国王ルイ14世とフェリペ4世の娘マリア・テレサの結婚式の準備に携わります。
その後まもなくディエゴ・ベラスケスはマドリードで亡くなりました。1660年(万治3年)8月6日のことでした。
ディエゴ・ベラスケスの作品紹介
ディエゴ・ベラスケスの代表作などの一部をご紹介します。
1625年~1628年頃 (寛永2年~寛永5年頃) |
フェリペ4世 【プラド美術館所蔵】 |
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1643年~1644年 (寛永20年~寛永21年・正保元年) |
セバスティアン・デ・モーラ 【プラド美術館所蔵】 |
1647年~1651年 (正保4年~慶安4年) |
鏡のヴィーナス 【ロンドン・ナショナルギャラリー所蔵】 |
1650年 (慶安3年) |
教皇インノケンティウス10世 【ドーリア・パンフィーリ画廊所蔵 イタリア・ローマ】 |
1656年 (明暦2年) |
ラス・メニーナス 【プラド美術館所蔵】 |

まとめ
- ベラスケスは、17世紀スペイン・バロック期絵画最大の巨匠。
- スペイン国王フェリペ4世の宮廷画家を務めた人物。
- フランドルの画家、ルーベンスとの親交もあった。