今回は美術検定2級合格へ向けた学習のアウトプット第3弾、「メソポタミアの美術」についてご紹介します。
メソポタミアと言えば、次の世界四大文明のひとつです。
- メソポタミア文明
- エジプト文明
- インダス文明
- 黄河文明
「メソポタミア」というのはギリシャ語で「複数の河の間」という意味だそうです。※1
ペルシャ湾に注いでいるチグリス川とユーフラテス川に挟まれた地域で発達した文明ですから、そのままの意味で呼ばれているわけですね。
メソポタミアは、現在のイラク共和国の一部に当たる地域です。
では、メソポタミア文明とその美術についてご紹介していきますね。
※1:出典元:ウィキペディア「メソポタミア」
メソポタミア文明とは
メソポタミア文明の始まりは、今から約5000年前と言われています。エジプト文明とほぼ同じ時期に起こった文明です。
2つの河と大きな平原を持つ肥沃な地域で、貿易も盛んだったようです。その反面、別の民族による侵略とも隣り合わせでした。
メソポタミア地方に住んだ民族を列挙すると、次のようになります。
- シュメール人:ペルシャ湾付近に多くの都市を築いたメソポタミア文明の祖です。
- アッカド人:シュメール美術を継承しつつ支配者賛美へと変化します。
- バビロニア人:アッカド王朝後の混乱を統一したバビロニア王朝を築きます。ハンムラビ法典碑が有名です。
- アッシリア
- 新バビロニア
- アカイネメス朝ペルシア
7世紀にはイスラム帝国により、ササン朝ペルシアが滅ぼされます。
長い歴史の中で、さまざまな王朝文化の影響を受けて、メソポタミア美術も変化していったのですね。
メソポタミアの美術
長い歴史を持つメソポタミアの美術ですが、美術検定2級関連で押さえておいた方がよいと思われるのは、シュメール人とアッカド人、バビロニア人です。
シュメール人は、日干しレンガや木材で家を作ったり、粘土板に楔形文字(くさびがたもじ)を刻んで記録を残しました。シュメール人が都市国家を築くようになったのがBC4000年くらいから。もとはペルシアからやって来た民族だそうです。
シューメール人の各都市には神殿が造られていました。各都市の支配者は、それぞれに祀っていた神の執事として統治していました。
各都市の神殿では、労働力や物資の蓄積の管理も行なわれていました。ウルクには白い神殿が残っているそうです。エジプトのピラミッドよりも数百年は歴史が古いみたいですよ。
続くアッカド人の美術としては、ナムラ・シンの石碑という、世界最古の戦勝記念碑(モニュメント)があります。
アッカド王朝が滅び、混乱していたメソポタミアを統一したのがバビロニア人です。ハンムラビ法典碑が有名です。
今回は、画像の入手に手間がかかりました。エジプト関連の無料画像は豊富なのですが、メソポタミアの無料画像はなかなか見つけにくかったです。
おそらく間違いないと思いますが、「ジッグラト」と「ハンムラビ法典碑」をご紹介します。(間違った画像だったらごめんなさい…)
メソポタミアの美術・ジッグラト

ジッグラトは、美術品というよりは建造物です。メソポタミア文明を感じられると思ってご紹介しています。
ジッグラトとは、シュメールの諸都市に作られた巨大な階層構造の建築物で、日干し煉瓦でできていました。エジプトのピラミッドを連想しますね。
シュメールの都市ウルクにあったジッグラトには、白い神殿がありました。なぜ「白い神殿」なのかと言えば、レンガの外側が石灰を用いた塗料で白く塗られていたからです。
白い神殿には残されていなかったようですが、アブ神殿にはいくつかの石像が残されていました。テル・アスマルの石像群です。テル・アスマルの石像の大きなものは76cmほどあります。目が大きな人物像が特徴です。
ウル墳墓からは石像ではありませんが、金箔とラピスラズリで装飾された牡山羊と樹木という奉納物が出土しています。BC2600年頃のものだそうです。
ラピスラズリから摂れるウルトラマリン(青)は、1600年代に活躍したネーデルランド共和国(現在のオランダ)の画家、ヨハネス・フェルメールも用いていました。「フェルメール・ブルー」と呼ばれています。
上記画像がウルのジッグラトかどうかはわかりませんが、イメージとして役立ててくださいね。
メソポタミアの美術・ハンムラビ法典碑
バビロニア王朝の祖ハンムラビは、偉大な王様だったようです。時代としては、BC1792~BC1750頃の人物です。
ハンムラビが偉大であると形容される理由には、戦争での強さとシュメールの伝統への尊敬が関係しています。ハンムラビは、「地上に正義を広げること」を使命とする太陽神シャマシュのよき僕であると考えていたようです。
それがハンムラビ法典碑へと繋がったのでしょう。BC1760年頃に作られた、現存する最古の法文として有名です。材料は閃緑岩で、石板部分は2.13m、浮彫の部分は約71cmあります。
上部に彫られているのは太陽神とハンムラビです。立って右手を挙げている方がハンムラビです。
たくさんの文字が彫り刻まれていますが、私には「人の目を潰した人は、罰として自分の目を潰される…」くらいの知識しかありません。
スーサから出土したハンムラビ法典碑は、現在、ルーブル美術館が所蔵しています。
石板上部に彫り刻まれたハンムラビの目も大きな感じがします。もしかすると、シュメール人の石像の特徴が影響しているのかもしれませんね。
まとめ
- 目が大きいのが特徴のテル・アスマルの石像群。
- メソポタミアの美術で外せないのはハンムラビ法典碑。
■参考文献
- 「改訂版 西洋美術の歴史」監修 横山勝彦、半田滋男/編集 美術検定実行委員会/発行 美術出版社
- 「西洋美術の歴史」著者 H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン/訳者 木村重信、藤田治彦/発行 創元社
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