あなたにとって英雄とは誰ですか?
自分自身にも問いかけてみました。(この話は後ほど。)
ベートーヴェンの交響曲には「英雄」と呼ばれる作品があります。
今回はベートーヴェン生誕250年にちなんで、カラヤン・ゴールドシリーズ(CD)から交響曲第3番「英雄」を聴いた感想をお伝えします。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏です。
■カラヤン/ベートーヴェン 交響曲第3番「英雄」:エグモント序曲
- 指揮:ヘルベルト・フォン・カラヤン
- 演奏:ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団
- ドイツ・グラモフォン カラヤン・ゴールドシリーズ
- 発売:ポリドール株式会社【POCG-9352】
ベートーヴェン作曲 交響曲第3番「英雄」とは

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンが交響曲第3番を完成させたのは、1804年(享和4年・文化元年)のことです。交響曲第3番は、「英雄」や「エロイカ(イタリア語に由来)」とも呼ばれています。
ベートーヴェン(1770年~1827年)の生きた時代のヨーロッパは激動の時代でもありました。
1789年(天明9年・寛政元年)5月5日にはフランス革命が始まります。1799年(寛政11年)にはナポレオン・ボナパルトが帝政を樹立しました。
1792年(寛政4年)、ベートーヴェンが生まれ故郷のボンを離れウィーンに移る際には、フランス軍に遭遇したと伝えられています。ボンからウィーンに向かう途中、異常な緊張感を感じたことでしょう。
当時のドイツに多数存在していた読書クラブ(レーゼゲゼルシャフト)では、知識人たちが意見を交わしていました。読書クラブはボンにも存在し、知識人たちに混じってベートーヴェンも刺激を受けたことでしょう。
自由と平等、友愛といった思想を育んでいたベートーヴェンにとって、社会構造を変えるチカラをみせたフランス革命とナポレオンの登場は衝撃そのものだったはず。
ベートーヴェンはナポレオンに好意的でした。というよりも、尊敬していたといってもおかしくはないでしょう。
現在と違い情報伝達のスピードは遅く、情報統制も行なわれていた可能性もあるなか、情報を受け取る側も少なからず思い込みや自分の理想を重ねてしまう危険性もあったのではないでしょうか。
1803年(享和3年)から1804年(享和4年・文化元年)にかけて、ベートーヴェンは交響曲第3番「英雄」を作曲しました。ベートーヴェンは当初、この交響曲第3番を尊敬するナポレオンに献呈するつもりでいました。
フランス革命後の混乱を収束させ、第一執政となっていたナポレオン。
しかし、ベートーヴェンものとにナポレオンが皇帝に即位するという情報が飛び込んできます。ベートーヴェンはナポレオンが権力に憑りつかれたことを怒り、献呈用の楽譜の表紙を破り捨ててしまいました。
そもそもベートーヴェンは、なぜナポレオンを尊敬していたのでしょうか?
ベートーヴェンにとってのナポレオン像とはどのようなものだったのか想像してみました。
- 【×】軍事戦略の天才的英雄
- 【×】優秀な軍司令官
- 【〇】自らの命を顧みずに革命の精神を人々に広める存在
ベートーヴェンにとってナポレオンは、「正義と自由と友愛」の体現者のように見えていたのだと思います。皇帝に即位し、権力を手中に収めようとするナポレオンに、ベートーヴェンは幻滅してしまったことでしょう。
ナポレオンの側にしてみれば、自分のあずかり知らぬところで過度の期待をされ、勝手に減滅されたということなのでしょうね。
ベートーヴェンは当初、交響曲第3番のタイトルをナポレオンにちなんで「ボナパルト」にしようとしていました。しかし「シンフォニア・エロイカ」に変更し、「とある英雄の思い出に捧げる」と書き添えています。
結局のところ交響曲第3番「英雄」は、革命の大義のために戦った兵士への追悼と英雄(皇帝に即位する前までのナポレオン)が存在していた時代を象徴している作品なのではないかと思うのです。
ベートーヴェンは、自作の交響曲でどれが一番好きかと問われた際に、「交響曲第3番」であると回答しています。お気に入りだったのです。
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンとは

ベートーヴェンについては『すぐわかる!ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンとは|その生涯と作品たち』をご参照ください。

わたなびはじめの感想:ベートーヴェン交響曲第3番「英雄」について

「英雄」という言葉を目にして真っ先に思い出したのは、映画「汚れた英雄」のタイトルです。
私にとっては「英雄」よりも「ヒーロー」の方が感覚的にしっくりするかもしれません。幼少時からテレビを通じて数々のヒーローが存在しましたから。
- 仮面ライダー
- ウルトラマン
- 科学忍者隊ガッチャマン
- サイボーグ009
- アントニオ猪木
- タイガーマスク(新日本プロレス)
しかし年齢を重ねていくうちに、「ヒーロー」という言葉に「幼い」というイメージが重なるようになりました。
この記事の冒頭の問いに答えるなら、元WBA世界スーパーフライ級チャンピオンの鬼塚勝也氏(以下、敬称略)を選びます。辰吉丈一郎、ピューマ渡久地とともに「平成三羽烏」と呼ばれたボクサーです。
鬼塚勝也が世界チャンピオンになる過程を簡単に説明します。
タイの国民的英雄カオサイ・ギャラクシー(19回防衛)が王座を返上して空白になったチャンピオンの座を、鬼塚勝也とタノムサク・シスボーベーが奪い合う(王座決定戦)こととなり、鬼塚勝也が勝利したのです。
その試合については「疑惑の判定」などと紙面に書かれたりしましたが、ボクシングにストイックに向き合ったすばらしい選手でした。
私のイメージする鬼塚勝也像は「打たれ強いボクサー」というものでした。
しかし本人はそのようには思っていなかったようで、正確にはお伝えできませんが次のように語っていました。「自分にはパンチ(力)はない、スピードもない、打たれ弱い…」と。
本人の認識が常に正しいとは限りませんが、私にとって彼のこの言葉は衝撃でした。(自分の抱いていたイメージと違っていたのですから…)
それと同時に、例えパンチ力が無くても、例え自分よりもスピードの早い選手がいても、例え打たれ弱くても、チャンピオンになり、防衛できることを証明してくれたように思ったのです。
身体能力的にズバ抜けた特徴がなくても、それを別モノで補うことができる。見た目は華やかで格好の良い試合ばかりではなくても、勝つことにこだわり続ける姿勢に心打たれました。
ボクシングの話はここまでにします。
私が「英雄」を語るだけでもこれだけの文字数を使い、熱くなってしまうのですから、ベートーヴェンのナポレオンに対する期待はもっとエネルギッシュだったのではないでしょうか。曲を献呈しようとまで思ったほどですから。
ここからは交響曲第3番「英雄」の感想を、各楽章ごとにお伝えします。【 】は今回聴いたCDの演奏時間です。
■第1楽章【14分10秒】
叩きつけるような2度の和音で始まり、躍動的でありながら優雅さを保ちつつ進行。颯爽としていて、勇ましい曲調です。それでいて場面の転換はドラマチックなので、自然と理想的な英雄の物語のBGM的な感じをイメージさせられます。
音量の緩急、旋律の強弱などが巧みに繰り返されるように構成されていて、引き込まれていくようです。おそらくですが、クラシック音楽に多少のなじみがあれば、初めて聴いても退屈しにくい楽章ではないかと思います。
ラストも疾風のごとく駆け抜けるようです。
■第2楽章【16分07秒】
第1楽章とは雰囲気がガラリと変わります。
静かながらも重たい、何かに悩み、悲しんでいるかのようです。それでも美しさが損なわれている感じではありません。
時折、明るさを見せるのですが、それは束の間にすぎず、次なる悲しみを呼び込む前兆のようです。
弦楽器で全体のイメージを構築し、金管楽器とティンパニがアクセントを与えています。
ラストは静かに終わります。
全体的に荘厳な雰囲気で統一されている楽章です。「葬送行進曲」という呼び名がピッタリ当てはまります。
ベートーヴェンの交響曲中、演奏時間が最長の第2楽章ですね。
■第3楽章【6分09秒】
打って変わって明るい表情で始まり、華やかさを取り戻します。
ヴァイオリンが刻むリズムが耳に残ります。中盤のホルンの響きが印象的です。
終わり方の潔さもいいですね。
交響曲第3番で最も短い楽章です。
■第4楽章【12分18秒】
初っ端からクライマックスか?と思いきや、その後はコミカルでやわらかい音色が紡がれます。
主題はベートーヴェンのバレエ音楽「プロメテウスの創造物」(1801年)から用いられています。
中盤からは勇壮さが増し加わり、静寂と物憂げな旋律、さらには朗らかさとのバランスが絶妙です。
終盤には、軽快で颯爽というよりは、大物登場的な落ち着きのある壮大な旋律も展開されます。
ラストはこれまで以上に華やかで活力に満ちた終わり方です。
第1楽章と第2楽章で30分、全体で50分弱の演奏。演奏時間だけでなく、楽曲の構成やオーケストラの活用法など聴きごたえのある交響曲です。
クラシック音楽界では「楽壇の帝王」とまで呼ばれたカラヤン。この作品を指揮する際には、自分を英雄に当てはめていたかもしれませんね。
カラヤンがどのような想いでこの作品を指揮したのかはわかりませんが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏家たちも見事に要望に応えていると思えます。
表現が適切ではないかもしれませんが、スキのない演奏で、聴いていて曲の世界に引き込まれていきそうです。
私は歴史に名を遺すようなことは何ひとつ成し遂げていませんが、それでも誰かの英雄になれるような志だけは持っていたいと思います。
まとめ
- ベートーヴェンは当初、ナポレオン・ボナパルトに献呈しようとしていた。
- ナポレオンが皇帝になると知り、献呈を取りやめた。
- 第2楽章が長い。
■関連CDのご案内です。
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