子供を連れて行った初めてのクラシックコンサートが、2008年(平成20年)に開催されたベルリン交響楽団の演奏会でした。
会場が江戸川区の総合文化センターだったので、子連れでも行きやすさを感じました。都心部のコンサートホールとは違って、勝手にホーム感を持っていましたね。
指揮者はリオール・シャンバダール氏。
私のミーハーの原点もここにあったように思います。
わたなびはじめの感想:ベルリン交響楽団コンサートの想い出

三大交響曲と呼ばれる名曲を一度に楽しめるのはとてもすばらしい機会でした。幼い子供でも知っている曲でもあったので、父子で行くことを決めました。
- シューベルト:交響曲第7番「未完成」
- ベートーヴェン:交響曲第5番「運命」
- ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」
「未完成」は馴染みがなかったですが、「運命」「新世界より」については父子で楽しめました。
生で聴く管弦楽団の演奏に、子供はもとより私自身が感動しました。一時期は病気の影響で、外出はおろか物事への関心も失ったいたので、今思うと非常に貴重な機会でした。
指揮者のリオール・シャンバダール氏が拍手に応えて、何度も何度もアンコールの演奏をしてくださったのはお茶目で楽しかったです。
私はクラシック系のコンサートに行った際、会場でCD等を購入するとサインがもらえる機会を存分に堪能する質(たち)です。家族からはミーハーと呼ばれ、自分でも認識しています。
そのミーハーの始まりが、このときのベルリン交響楽団コンサートだったのです。CDを購入し、サインの列に子供とともに並びました。
子供が指揮者のリオール・シャンバダール氏の前に立つと、シャンバダールが英語で名前を聞いてくれました。CDに子供の名前と自分のサインを入れてくれたのです。
「私の名前を伝えさせればよかった…」と、親とは思えない後悔をしたものです。そのときの写真は想い出に残してあります。
CDケースに挟んで保存してあるので、今日も幼なかった我が子の姿を見て懐かしい思いに浸りました。
※上図では子供の名前の部分は見えないようにしています。
リオール・シャンバダールとは

リオール・シャンバダールはイスラエル出身の指揮者です。
1950年(昭和25年)5月14日にテルアビブで誕生しました。幼少期からヴィオラや作曲、そして指揮について学びました。
その後、次の方々に師事します。
- ハンス・スワロフスキー
ハンガリー出身の指揮者です。 - フランコ・フェラーラ
イタリア出身の指揮者で、作曲家や音楽教育家でもあった人物です。 - カルロ・マリア・ジュリーニ
イタリア出身の指揮者で、 ミラノ・スカラ座にて音楽監督を務めたこともある人物です。 - ヴィトルド・ルトスワフスキー
ポーランドの作曲家です。
リオール・シャンバダールは、1980年(昭和55年)にハイファ交響楽団の首席指揮者に就任します。1986年(昭和61年)からは、テル・アヴィヴ室内オーケストラの音楽監督も務めます。
その後1993年(平成5年)から2000年(平成12年)までの期間は、カイザースラウテルン歌劇場(ドイツ)の音楽総監督(音楽監督兼首席指揮者)に就任しています。
リオール・シャンバダールがベルリン交響楽団の首席指揮者となったのは1997年(平成9年)のことでした。1999年(平成11年)にはスロヴェニア放送交響楽団の首席指揮者も務めています。
非常に精力的に音楽活動を行なっていて、来日公演も度々行なっています。
ベルリン交響楽団とは

ベルリン交響楽団は、本拠地をベルリンに置くオーケストラのひとつです。
その設立は、ドイツが東西に分断されていた時代に遡ります。1966年(昭和41年)、西ベルリンで創立されました。
東ベルリンにも同名の「ベルリン交響楽団(現ベルリン・コンツェルトハウス管弦楽団)」が存在していましたが別モノです。
指揮者には次のような方々がいました。
- カール・フォルスター
- ダニエル・ナザレス
- リオール・シャンバダール
etc...
「ベルリン」と名の付くオーケストラには「ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団」や「ベルリン放送交響楽団」などが頭に浮かぶと思いますが、ベルリン交響楽団もベルリン・トップクラスのオーケストラです。
ベルリン交響楽団の歴史はそれほど古くはなく、新しめのオーケストラと言っても過言ではないと思います。ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を除けば、2004年(平成16年)まで、ベルリン・フィルハーモニーホールで定期演奏会を開催していた唯一のオーケストラです。
しかしその歴史は順風満帆ではありませんでした。
ベルリン市が2004年末をもって、ベルリン交響楽団への助成金をカットしたのです。これにはベルリン市自体の財政困難が関係していて、その影響が文化行政にも及んだためでした。
ベルリン交響楽団は民間団体となりましたが、聴衆や民間のスポンサーが存続を支援するために動きました。
ベルリンの市民に愛されているオーケストラだったということが伺えます。
その期待に応えるべく、ベルリン交響楽団も観客数を3倍に増やし、海外公演を精力的に行なってきました。
また面白い特色としては、ベルリン音楽アカデミーと共同で教育プロジェクトを行なっていることです。
そのようなオーケストラが東京の江戸川区に来てくれたのでした。
まとめ
- 子供と鑑賞した三大交響曲は想い出のひとつ。
- リオール・シャンバダール氏の指揮するベルリン交響楽団の演奏は素晴らしかった。
- リオール・シャンバダール氏にサインをしていただく際、子供にやさしく接してくれて、親として嬉しかった。