ポーランド出身で、のちにメキシコに帰化した名ヴァイオリニスト:ヘンリク・シェリング。
生前、5度来日しています。6度目の来日計画もあったようです。
ここでは、ヘンリク・シェリングの生涯を簡単にご紹介します。
ヘンリク・シェリング、誕生~修業時代

ヘンリク・シェリングは1918年(大正7年)9月22日にポーランド・ワルシャワ近郊で誕生しました。
5歳から母親の指導によりピアノを教わり、ヴァイオリンは7歳から学び始めます。
ヘンリク・シェリングは10歳になる前に、ブロニスワフ・フーベルマンにヴァイオリンの才能を認められる機会を得ます。
すごい人に見いだされたんだね。
ブロニスワフ・フーベルマンはヘンリク・シェリングを自分の弟子にしたわけではなく、指導者として評価の高かったカール・フレッシュに師事することを勧めました。
1929年(昭和4年)~1932年(昭和7年)、ドイツ・ベルリンでカール・フレッシュの指導を経たヘンリク・シェリング。その後はパリ音楽院で学び、首席で卒業しています。パリではガブリエル・ブイヨンに師事し、ヴァイオリンの腕を磨きました。
ヘンリク・シェリング、ヴァイオリニストデビュー~指導者~そして

ヘンリク・シェリングは、1933年(昭和8年)にブラームスのヴァイオリン協奏曲でデビューを果たします。
ヴァイオリニストとして認知されるようになったヘンリク・シェリングでしたが、演奏活動に没頭することなく、1933年(昭和8年)~1939年(昭和14年)の期間フランス・パリでナディア・ブーランジェの下で作曲を学びます。
第二次世界大戦中、ヘンリク・シェリングはポーランド亡命政府の連絡将校の通訳を務めました。連合国軍に対して慰問演奏も行なっています。
メキシコ・メキシコシティの慰問演奏の際、大学での仕事を得て、1946年(昭和21年)にはメキシコの市民権を取得(帰化)しました。それ以降メキシコに定住し、国立大学音楽学部で後進の指導に専念していました。
ところが…ヘンリク・シェリングに大きな転機が訪れます。
1956年(昭和31年)、名ピアニストのアルトゥール・ルービンシュタインがメキシコを訪れた際、そこで接したヘンリク・シェリングのヴァイオリンの並外れた能力に驚き、音楽界の主要な人々に紹介したのです。
名ピアニストが名ヴァイオリニストの手引きをした感じだね。
ヘンリク・シェリングはその後、ヴァイオリニストとして30年以上にわたって継続することに。まさに現代の名ヴァイオリニストのひとりとして、演奏活動や録音活動に取り組みました。
ヘンリク・シェリングが主に使用したヴァイオリンは、1743年(寛保3年)製のグァルネリ・デル・ジェス「ル・デューク」すで。
ヘンリク・シェリングは演奏活動中の1988年(昭和63年)3月3日にドイツ・カッセルで亡くなり、モナコに埋葬されました。
まとめ
- 幼くして名ヴァイオリニストに才能を見出された。
- メキシコで教育者として活動していた。
- ルービンシュタインにより、演奏の舞台へと導かれた。