なんと厳かな救い主の誕生シーンでしょうか!
レンブラント・ファン・レインの描いた「羊飼の礼拝」の感想です。
2003年(平成15年)に国立西洋美術館館で開催された「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展の図録を基に、描かれたシーンの紹介と感想をお伝えします。
※お詫び
この記事においてレンブラントの作品であると紹介している「羊飼の礼拝」【ナショナル・ギャラリー(ロンドン)所蔵】は、レンブラントの弟子による作品であることがわかりました。
記事を執筆・投稿した時点で、すでに判明していたことだったのですが、私のミスで古い情報を基に紹介してしまいました。
申し訳ございません。
なお、この記事中では「レンブラントの弟子」という訂正は行わず、別の記事にて経緯を説明させていただくことといたしました。
■お詫びとその経緯の記事 ⇒ 『レンブラント・ファン・レインの弟子作「羊飼いの礼拝」|国立西洋美術館「レンブラント 光の探求|闇の誘惑」展より』
レンブラント・ファン・レイン作「羊飼の礼拝」とは

■レンブラント・ファン・レイン作「羊飼の礼拝」
- 制作年:1646年
- サイズ:65.5 × 55.0cm
- 油彩、カンヴァス
レンブラントが描いた「羊飼の礼拝(ひつじかいのれいはい)」は、新約聖書のルカによる福音書に記されているイエス・キリストの誕生にまつわる記述を基に制作されています。
まずはその場面を、新約聖書 ルカによる福音書 第2章から引用します。ベツレヘム(ダビデの町)でイエス・キリストがお生まれになったあと、野宿をしていた羊飼(ひつじかい)のもとに御使(みつかい)が現れて救い主の誕生を知らせます。
さて、この地方で羊飼たちが夜、野宿しながら羊の群れの番をしていた。すると主の御使が現れ、主の栄光が彼らをめぐり照したので、彼らは非常に恐れた。御使は言った、「恐れるな。見よ、すべての民に与えられる大きな喜びを、あなたがたに伝える。きょうダビデの町に、あなたがたのために救主がお生れになった。このかたこそ主なるキリストである。あなたがたは、幼な子が布にくるまって飼葉おけの中に寝かしてあるのを見るであろう。それが、あなたがたに与えられるしるしである」。するとたちまち、おびただしい天の軍勢が現れ、御使と一緒になって神をさんびして言った、
「いと高きところでは、神に栄光があるように、
地の上では、み心にかなう人々に平和があるように」。
御使たちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼たちは「さあ、ベツレヘムへ行って、主がお知らせ下さったその出来事を見てこようではないか」と、互に語り合った。そして急いで行って、マリヤとヨセフ、また飼葉おけに寝かしてある幼な子を捜しあてた。出典:『新約聖書 ルカによる福音書 第2章8~16節』
85~86ページ 日本聖書協会
その後羊飼たちは、神様を崇め、賛美しながら帰っていきました。
レンブラントは、馬小屋で飼葉おけに寝かされている幼いイエス・キリストを羊飼いたちが礼拝する場面を描き上げました。
「羊飼の礼拝」は、画面の約半分が暗い馬小屋の風景で占められています。馬小屋の上部はほとんど真っ暗な状態です。かろうじて柱や梁のような木材を確認できます。
光(明かり)は幼いイエス・キリストの周辺から放射状に放たれ、人物は陰影をもって描かれています。ランタンを左手に下げている男性も描かれていますが、その光はそれほど強くありませんね。ランタンの光が地面(床)を照らしている表現も印象的です。
視線を移すと、画面右側にも弱めの光源があるようです。
レンブラントがイエス・キリストだけに観る側の視線を集めたいと考えたのであれば、画面右側の光は描かない方がよかったはずです。そうすれば、暗い画面の中に丸い光の空間が浮かび上がるようになり、よりインパクトを与えられたと思います。人の視線は、暗い部分から明るい場所へと誘導されますから。
ではなぜ、レンブラントは右側の光を描いたのでしょうか?私の想像の域を出ませんが、おそらく建物の奥行を表現したかったのでしょう。さらには右側の人物の姿がほんのり浮かび上がることで、その人物について想像させたかったのだと思います。物語性を生み出したというわけです。
イエス・キリストを見守る母マリアの背後には馬の姿が、画面右手の少年は牧羊犬?を連れていますね。
おそらく羊飼いたちは、東方の博士たちのように裕福ではなかったと思われます。豪華な贈り物も持参できなかったことでしょう。しかしイエス・キリストは、富裕な人たちだけでなく、貧しい人たちにとっても救い主であられます。生まれた場所が馬小屋であることも含めて、人を偏って判断しないことを象徴しているようですね。
レンブラントが「羊飼の礼拝」で表現した光は温かみを感じる色調です。神々しさよりも親しみやすさや温もりを感じます。それに加えて、ひざまずき心を込めて救い主を礼拝している姿も温かみを伝えています。
描き込まれている人物の仕草からそれぞれの心情がイメージしやすくて、勝手に人物ごとのストーリーを想像してしまいそうです。
レンブラントの「羊飼の礼拝」は、貧しいながらも心を込めて礼拝する人の姿が描き込まれた、厳かで温かみを感じるすばらしい作品だと思います。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインとは

「光と影の画家」と呼ばれ、オランダ・バロック絵画を代表する画家のひとりレンブラント・ファン・レインの生涯については、『すぐわかる!レンブラント・ファン・レインとは|「光と影の画家」の生涯について』をご参照ください。

わたなびはじめの感想:レンブラント「羊飼の礼拝」について

レンブラントと言えば、「光と影の画家」と形容されるネーデルランド(オランダ)・バロック絵画の巨匠です。「羊飼の礼拝」においても、光と影によるドラマチック性や物語性が存分に発揮されていますね。
とはいえ、「羊飼の礼拝」はレンブラントの「フランス・バニング・コック隊長の市警団(通称:夜警)」や「デルフトのファン・デル・メール博士の解剖講義」「テュルプ博士の解剖学講義」とは少し違った印象を受けます。
私なりにその違いを考えてみたのですが、「羊飼の礼拝」は集団肖像画ではないことがその要因だと思います。肖像画のように実在の人物の表情を描き込む必要がないので、詳細に人物の表情を描き込まなくてもよかったのでしょう。それが逆に温かみのある味となって伝わってくるのだと思います。
最期に、いつものわたなび流の感想で終わります。
レンブラント・ファン・レイン作「羊飼の礼拝」は、「自宅で鑑賞したい(欲しい)と思える作品」です。
正直なところ「羊飼の礼拝」は、超欲しい作品です。

まとめ
- 「羊飼の礼拝」は、新約聖書 ルカによる福音書のイエス・キリストの誕生にまつわるエピソードを描きた作品。
- 「羊飼の礼拝」でも、光と影の表現がドラマチック性や物語性を生み出している。
- 羊飼いが救い主を礼拝する姿が描き込まれた厳かさを感じる作品。