美術作品

アールト・ド・ヘルデル作「神殿奉献」|国立西洋美術館 「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展より

レンブラントとレンブラント派_20_アールト・ド・ヘルデル「神殿奉献」

2003年(平成15年)に国立西洋美術館で開催された「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展には、レンブラントのお弟子さんたちの作品も展示されていました。

アールト・ド・ヘルデルの描いた「神殿奉献」もそのひとつです。今回は、その魅力に迫ります。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
アールト・・ヘルデルと表記されることもあるみたい。

アールト・ド・ヘルデル作「神殿奉献」とは

レンブラントとレンブラント派_20_アールト・ド・ヘルデル「神殿奉献」

■アールト・ド・ヘルデル作「神殿奉献」

  • 制作年:1700年頃
  • サイズ:94.0 × 107.5cm
  • 油彩、カンヴァス

アールト・ド・ヘルデルはレンブラントの最晩年に弟子になった画家です。その前には別の画家から学んでいました。

「神殿奉献」は1700年(元禄13年)頃の作品であると考えられています。レンブラントが亡くなったのが1669年(寛文9年)のこと。師匠が亡くなった後、30年程して描かれた作品ということになりますね。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
最晩年のレンブラントは負債を抱え、経済的に苦しい生活を送っていたはず。
ヘルデルは裕福な家庭の出身だったので、経済的に困ることなく絵画の腕を磨くことができたのかもしれない。
勝手な想像だけれど...

アールト・ド・ヘルデルの「神殿奉献」にフォーカスしましょう。

ヘルデルの「神殿奉献」は、新約聖書 ルカによる福音書 第2章22~35節に基づいて描かれている作品です。

 それから、モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った。それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、また同じ主の律法に、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。この人が御霊に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに
 この僕を安らかに去らせてくださいます、
 わたしの目が今あなたの救を見たのですから。
 この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
 異邦人を照す啓示の光、
 み民イスラエルの栄光であります」。
 父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。―そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。―それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。

出典:『新約聖書 ルカによる福音書第2章22~35節』
86ページ 日本聖書協会

ヨセフとマリヤは、律法に従って神様に幼な子イエス(最初に生まれた男子)を捧げ、犠牲を差し出すためにエルサレムの神殿を訪れました。そこで信仰深いシメオンに出会ったのです。

このシメオンという人物はその信仰のゆえに、メシヤ(救い主)に会うまで死なないとの約束を受けていた人物でした。「今こそ~安らかに去らせてくださいます」という言葉から、長期間に渡り救い主を待ち望んでいたことが伺い知れます。

シメオンは、救い主にお会いできたこと喜んだことでしょう。それと同時に、神様が約束を守ってくださったことに感謝と賛美の気持ちを抱いたと思われます。

シメオンが幼きイエスを腕に抱き、神様を褒め称えている様子をアールト・ド・ヘルデルは描いたのです。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
そのことを知ったうえで鑑賞すると、シメオンの表情に視線が向かうよね。

「神殿奉献」には4人の人物が描かれています。

  • 幼な子イエス・キリスト
  • イエスを抱き、天を見つめるシメオン
  • 両手を合わせる母マリヤ
  • マリヤの夫ヨセフ(画面右上付近)

画面左上方から光が差し込み、幼な子イエスを照らしています。光はシメオンとマリヤにも及びますが、ヨセフは薄暗く控えめに描かれているだけです。

薄暗い背景にスポットライトを当てることで、鑑賞者の視線はイエス・キリストとシメオン、マリヤに惹きつけられます。厳かな雰囲気が印象的です。静かなシーンであっても、力強く心に迫ってきます。

幼いイエス・キリストの表情は、穏やかで可愛らしさと安らぎで満たされているようです。

シメオンの表情からも安らぎを感じます。彼が長年待ち望んだ瞬間が訪れたことに対する、神様への感謝も感じ取ることができます。

ヨセフが手にしているのは山ばとでしょう。その手はガッシリとしていて大工であることを印象付けているかのようです。その佇まいは穏やかな雰囲気を感じさせます。

清らかな表情をしたマリヤからは敬虔さが伝わってきます。我が子であり、かつ、神様の御子(おんこ)であるイエス・キリストを拝している姿は、信仰深さを物語るのに十分です。

静寂さの中に、神聖さが漂う美しい作品です。

シメオンの胸元の衣類(装飾品)や肩付近の表現が実に見事です。荒っぽさを感じるタッチですが、とても美しいアクセントを生み出し、作品を引き立てています。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
個人的に違和感を感じる部分もある...

私が感じる違和感とは作品のタイトルです。「神殿奉献」ではなく、シメオンに対する神様の約束が実現したことを感じさせるタイトルの方がふさわしいと思うのです。または、シメオンがイエス・キリストを礼拝し褒めたたえる感じでもいいでしょう。

いずれにしても、この出来事を知る人が鑑賞すれば作品の趣旨は十分に伝わります。アールト・ド・ヘルデルの描いた「神殿奉献」は、厳かで美しく、静寂の中に喜びと安らぎを感じさせる作品です。

アールト・ド・ヘルデルとは

すぐわかる!アールト・ド・ヘルデルとは

レンブラント最後の弟子のひとりアールト・ド・ヘルデルの生涯については、『すぐわかる!アールト・ド・ヘルデルとは』をご参照ください。

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わたなびはじめの感想:アールト・ド・ヘルデル作「神殿奉献」について

エルサレム旧市街エルサレム旧市街

アールト・ド・ヘルデルの「神殿奉献」は、シメオンの表情がとっても印象的で美しい作品だと思います。

レンブラントの弟子だけあって、光と影の用い方が絶妙です。見せたいところに視線を釘付けにする力強さが伝わってきます。

聖書の短い記述からイメージを膨らませ、構図を決めて、人物の表情などを描き出すのですから見事という以外に言葉が見つかりません。

最後に、いつものわたなび流の感想で終わります。

アールト・ド・ヘルデル作「神殿奉献」は、「自宅で鑑賞したい(欲しい)と思える作品」です。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
もう一度、観たい作品だな~。

まとめ

ヘルデル「神殿奉献」
  1. 新約聖書を題材とした作品。
  2. イエス・キリスト、シメオン、マリヤ、ヨセフが描かれている。
  3. 厳かさを感じさせる美しい作品。

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