美術作品

心をグッと掴まれた!アンリ・マティス作 「音楽のレッスン」|国立西洋美術館「バーンズ・コレクション展」より

バーンズコレクション_02_アンリ・マティス「音楽のレッスン」

1994年(平成6年)に国立西洋美術館で開催された「バーンズ・コレクション展」。

私の絵画鑑賞&美術館探訪のキッカケとなった展覧会でした。

その図録からアンリ・マティス作 「音楽のレッスン」の感想をご紹介します。

マティスの単純化された描写と多彩な色使いは、私の心をグッと掴んで放しませんでした。

■アンリ・マティス作「音楽のレッスン」

  • 制作年:1917年
  • サイズ:244.7 × 200.7cm
  • 油彩、カンヴァス

アンリ・マティス作「音楽のレッスン」

バーンズコレクション_02_アンリ・マティス「音楽のレッスン」

この作品の描かれているのはマティスの家族です。

時代背景としては、1914年(大正3年)から始まった第一次世界大戦中ということになります。
作品が描かれたのは、第一次世界大戦終結(1918年)の前年です。

この作品にはマティス自身は描かれていません。

左側に座っているのが長男です。
スーツ姿でタバコをくわえ、本を手にしていますね。
この時期、戦争に行くことが決まっていたようです。

ピアノを弾いているのは長女と次男です。

ピアノにはハイドンの譜面と、ヴァイオリンが置かれています。
ヴァイオリンはマティスの持ち物です。

ヴァイオリンは、何となく使用されて間もない印象を受けませんか?
タイトルが「音楽のレッスン」でもあることから、マティス家は芸術一家だったのかもしれませんね。

中央(屋外)でイスに座っているのがマティスの奥様のようです。
寂しそうにも見えますが、手にしているのは刺繍でしょうか?
そうであるならば、明るい日差しの中、ご自身の趣味に没頭しているのでしょう。

窓の下に設置されているのは、スチーム製の暖房器具でしょうか?

私の場合、中学校の途中まで、冬の教室は石炭ストーブで暖を取っていました。

当番で石炭を教室まで運ぶのが辛かったですね。
一斗缶を運ぶために付けられた太い針金のような取っ手が、指に食い込んで痛かったです。

その後は石油ストーブになり、高校に入ると教室の窓側の壁(下部)に温水暖房器具が設置されていました。
学生服を着ていたころを思い出しました。

当時のフランスの情勢について詳しいことはわかりませんが、この絵画に描かれた時間は普段と変わらない日常の光景に見えます。

作品には奥行きがあり、温かみを感じるタッチで描かれています。

「ピアノの赤とスーツのグレー」や「屋外の緑と額縁の絵の冷たい青」といった対比は、決して華々しくはありませんが、部屋の中が外よりも明るい印象で描かれているため、暗い雰囲気にならないのだと思います。

床やスーツ、スチーム、ピアノに置かれた楽譜の周辺は、明るくみえますよね。

アンリ・マティスとは

アンリ・マティスは、フォーヴィスム(野獣派)の中核的存在だったフランスの画家です。

アンリ・マティスは1869年(明治2年)12月31日、フランス・ノール県ル・カトー=カンブレジで生まれました。
その後引っ越しのため、幼少期はボアン=アン=ヴェルマンドワで過ごしました。

1887年(明治20年)にアンリ・マティスはパリ大学法学部に入学します。
目的はカトー=カンブレジの裁判所の管理者としての資格取得のためだったようで、資格は無事に取得しました。

ところが、2年後の1889年(明治22年)に転機が訪れます。
盲腸炎に罹患してしまったのです。
手術後、療養中のマティスに、母親は画材をプレゼントします。
これが画家アンリ・マティス誕生のキッカケとなりました。

父親はあまりうれしくなかったようですが、1891年(明治24年)にマティスはパリのアカデミー・ジュリアン(私立の美術学校)に入ります。
マティスは熱心に絵を学んだようです。

画家マティスの初期の作風には、写実的傾向が強く表れていました。
その後は、次の後期印象派の画家たちの影響を受けていきます。

  • フィンセント・ファン・ゴッホ
  • ポール・ゴーギャン
  • ポール・シニャック
  • ポール・セザンヌ

1910年前後には、大胆かつ自由な色彩の作品を発表します。

そのような作風は、本人の意向とは裏腹にフォービスム(野獣派)と呼ばれるようになります。
フォービスムの画家として、次の2人をご紹介します。

  • アンドレ・ドラン
  • モーリス・ド・ヴラマンク

しかしマティスがフォービスム(野獣派)として活動したのは、2~3年間のことでした。

自身の画風を探求する過程で、単純化された線や鮮やかな色彩を経て「切り絵」に到達します。

1941年(昭和16年)、マティスは十二指腸癌を患い、その後3ヶ月間はベッドでの生活となりました。

1947年(昭和22年)マティスはドミニコ会修道院ロザリオ礼拝堂の設計と内装デザインを任されることになります。
約5年の歳月をかけてこの仕事に取り組みます。
マティスの魅力が詰まったこの建築物には、切り絵を彷彿とさせるステンドグラスも用いられています。

晩年のマティスはアトリエでの制作が多くなります。
多くの鳥が飼われていたそのアトリエで、マティスは過ごしました。

1954年(昭和29年)11月3日、アンリ・マティスはフランス・アルプ=マリティーム県ニースで亡くなりました。

わたなびはじめの感想・「音楽のレッスン」

アンリ・マティス作「音楽のレッスン」は、非常にモダンな作品だと思いました。

バーンズ・コレクション展は、私にとって初めての本格的な絵画鑑賞体験の場であったこともあり、様々な感情が芽生えたのを記憶しています。

当時はまだ、レンブラント作品のような写実性に魅力を感じるだけでしたが、徐々に印象派やフォーヴィスムの影響を受けて絵画に対する興味関心が広がっていくことに。
まさに絵画の魅力に目覚める最初の段階だったと言えます。

それゆえに、マティスの「音楽のレッスン」は衝撃的でした。
作品の描かれた背景などは知らずに観ていましたが、そのモダンさに魅了されてしまいました。

上手く表現できませんが、「こんな作品もありなのか…?」と感じた記憶があります。
幸いなことに「なんだこれッ!」とは思いませんでした。

当時は「絵画のすばらしさは写実性にある」と考えていたため、忠実に描写されているかどうかといった上手・下手でしか判断できなかったわけです。

20代前半の私にとって、マティスの「音楽のレッスン」は、自分の絵画観に対してアンチテーゼを突き付けられたかのような作品でした。

当時の私の絵画観では「理解はできなかったけれど、なぜか否定できない魅力を感じ取っていた」のです。
25年以上も前の出来事を、おぼろげながらも思い出せるというのはうれしいことです。

そのような出会いをいただけたことを感謝ぜずにはいられません。

最後にあらためて現在のわたなびはじめの感想を述べさせていただきます。
おこがましいことを承知の上で、書かせていただきますね。

マティスの「音楽のレッスン」は、「やわらかなタッチと鮮やかな色遣いで描かれた魅力的な作品なので、是非、自宅に飾りたい(欲しい)と思う作品です。」

いつの日か、再びお目にかかりたい作品です。
すばらしい!

アメリカ・フィラデルフィアのバーンズ財団美術館に行けば観ることができるのかな?

まずは、新型コロナウィルスの早期収束を願うばかりです。

まとめ

マティス「音楽のレッスン」
  1. マティスの「音楽のレッスン」はモダンでステキな作品。
  2. 描かれているのはマティスの家族。
  3. 描かれた時代は第一次世界大戦時中。

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