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アントニー・ファン・デル・クロース作「ユトレヒト近くのモントフォールトの城」|伊勢丹美術館「アイルランド国立美術館名品展」より

アイルランド国立美術館名品展_アントニー・ファン・デル・クロース「ユトレヒト近くのモントフォールトの城」【アイキャッチ】
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日本の城も魅力的ですが、西洋の城も違った魅力を感じます。

約360年ほど前に描かれたアントニー・ファン・デル・クロース作「ユトレヒト近くのモントフォールトの城」からは、ゆっくりとした時間の流れを感じます。

1994年(平成6年)に伊勢丹美術館で開催された「アイルランド国立美術館名品展」の図録をもとに想いを馳せてみました。

アントニー・ファン・デル・クロース作「ユトレヒト近くのモントフォールトの城」とは

アイルランド国立美術館名品展_アントニー・ファン・デル・クロース「ユトレヒト近くのモントフォールトの城」
  • 制作年:1660年
  • サイズ:63.8 × 80.1cm
  • 油彩、カンヴァス

「アイルランド国立美術館名品展」の図録の解説によると、この作品に描かれている城は当初、アルクマール付近にある「エグモント城」だと考えられていたようです。

その後研究が進んだのか、現在では「モントフォールト城」だとみなされています。

モントフォールト城が築かれたのは1163年(応保3年)頃というのですから、日本では平安時代というこに。歴史を感じますね。

モントフォールト城の側を流れているのはエイセル川です。この城には砦の役割があったようです。

その後時代が進み、1672年(寛文12年)には、フランス軍の侵攻により占領されたのち、破壊されてしまったそうです。現在では正面の入口が部分的に残っているだけとなりました。

アントニー・ファン・デル・クロースがモントフォールト城を描いたのはフランス軍侵攻の約10年前です。現在ではその姿を確認できないのですから、この作品は貴重な歴史的資料ともいえます。

この作品で印象的なのは、川面に移るモントフォールト城の姿でしょう。まるで鏡に映したかのようです。

穏やかな川には釣りをしている人の姿もみられます。水鳥も2羽いることを確認できます。

風もなくほとんど静的な風景に、動いているのは釣り人と水鳥だけというのが印象的です。

画面左側の木々をみても、アントニー・ファン・デル・クロースが非常に丁寧かつ細やかに描写しているのがわかります。

オランダ・ユトレヒトオランダ・ユトレヒト

モントフォールト城は、ユトレヒトの南西15kmの場所にあります。上述の通り、現在は破壊されてしまっていますが…。

アントニー・ファン・デル・クロースとは

デン・ハーグの街並みデン・ハーグの街並み

アントニー・ファン・デル・クロースは、わからない点の多い画家です。彼についての資料が乏しいためです。

まず出生についてもアバウトで、1606年(慶長11年)6月13日~1607年(慶長12年)3月1日の間に誕生したと考えられています。しかもどこで生まれたのかも不明です。

アントニー・ファン・デル・クロースが生きた時代は、日本の江戸時代初期です。

私は先祖の探究で家系図を調査していますが、資料を探そうとすると戸籍謄本や除籍謄本が導入された以降のものとなります。
墓石や過去帳からも情報は得られますが、母は別として、先祖の日記などは今のところお目にかかったことがありません。

先祖に著名人がいたり、家柄がよくて家系図がしっかりと残っている場合は、もっとスムーズに調べられるのでしょうが…

このようなことを考えると、資料があまり残っていなくても仕方がないことのように思えます。

アントニー・ファン・デル・クロースは、1634年(寛永11年)から15年間程デン・ハーグに住んでいました。

現在のデン・ハーグは、アムステルダム、ロッテルダムに次くオランダ第3の都市です。
日本では「ハーグ」と表記されています。

その歴史は古く、1200年代にまで遡ります。

ハーグには国際司法裁判所や国際刑事裁判所といった国際機関が150ほど置かれています。
マウリッツハウス美術館があるのもハーグです。

アントニー・ファン・デル・クロースは1647年(正保4年)にデン・ハーグの聖ルカ組合に加入しています。

聖ルカ組合とは、近代初期の西洋(特にネーデルラント)で、画家を含む芸術家のギルドに付けられた名称です。
ギルドで親方(資格)になることで、作品を売ることや弟子をとることが可能となりました。

1649年(慶安2年)からの2年間はアルクマールに住んでいます。その地でも聖ルカ組合に加入しました。

1651年(慶安4年)以降はデン・ハーグに戻ったようです。

アントニー・ファン・デル・クロースはデン・ハーグやアルクマール、アムステルダム等の都市を描く景観画家でした。

いつ亡くなったのかは不明です。

わたなびはじめの感想:アントニー・ファン・デル・クロース作「ユトレヒト近くのモントフォールトの城」について

函館・五稜郭函館・五稜郭

私が生まれ育った函館には城はありませんが、城郭が残されています。それが五稜郭です。

五稜郭には天守などはなく、昔は箱館奉行所がありました。現在は再建されていますが、私が函館市民だった頃にはありませんでした。そのため、結婚後に観光旅行の感覚で箱館奉行所を見学した記憶があります。

アントニー・ファン・デル・クロースの描いた「ユトレヒト近くのモントフォールトの城」は、水辺に建てられた城で存在感があります。

五稜郭も隣接されている五稜郭タワーから見下ろすと存在感があります。
高さのある建物がないので、モントフォールト城とは違う存在感ですね。
桜の咲くころも、存在感を感じますよ!

モントフォールト城のどっしりと落ち着いた城構えは、日本の城とは違った魅力を感じます。石やレンガで建てられている重厚感というものでしょう。

大きなお世話ですが、「川の氾濫時には大丈夫だったの?」などということを考えてしまいます。
城郭もなさそうですし…

当時のユトレヒトがどのような雰囲気の街だったのかはわかりませんが、少し離れたところにこのような景色があることで、ピクニックなどを楽しむ人たちもいたのではないかと想像してしまいます。

伊勢丹美術館で観た当時の印象はあまり残っていないのですが、このようなのどかな風景の場所でゆっくりと読書してみたいものです。

最後に、いつものわたなび流の感想で終わりたいと思います。
アントニー・ファン・デル・クロースの描いた「ユトレヒト近くのモントフォールトの城」は、「自宅で鑑賞したい(欲しい)と思える作品」です。

まとめ

A.V.D.クロース「ユトレヒト近くのモントフォールトの城」
  1. かつてはエグモント城だと思われていた時期があった。
  2. アントニー・ファン・デル・クロースについては、あまり資料が残っていない。
  3. 水面に映る景色も美しい。

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