美術作品

イメージと違う?ヤコブ・ヨルダーンス作「エマオの晩餐」|伊勢丹美術館「アイルランド国立美術館名品展」より

アイルランド国立美術館名品展 ヤコブ・ヨルダーンス「エマオの晩餐」

絵画で描かれている光景が、文字で読んで得たイメージと違うことってありませんか?

私にとって、ヤコブ・ヨルダーンス作の「エマオの晩餐」がまさにそうなんです。
イスに座る食事スタイルではなく、もう少し質素なイメージを持っていました。
もちろん本当の場面がどのような様子だったのかはわかりませんが…。

伊勢丹美術館「アイルランド国立美術館名品展」を見返しながらご紹介したいと思います。

  • 制作年:1645年頃
  • サイズ:198.5 × 211.5cm
  • 油彩、カンヴァス

ヤコブ・ヨルダーンス作「エマオの晩餐」

アイルランド国立美術館名品展 ヤコブ・ヨルダーンス「エマオの晩餐」

「エマオの晩餐」のタイトルにある「エマオ」とは地名です。
エルサレムの西北約11kmのところにある町(聖書では村と表記)です。

新約聖書 ルカによる福音書 第24章13~35節をもとに、ヤコブ・ヨルダーンスは「エマオの晩餐」を描いたのでした。

イエス・キリストが十字架上で亡くなって3日目のこと。

二人の弟子がエルサレムからエマオへの旅路についていました。
一人はクレオパ、もう一人はルカだと言われています。

二人の弟子は旅の道中、ここ数日エルサレムで起こった出来事について語り合っていました。

すると一人の男性(イエス・キリスト)が近づき、弟子たちと一緒に歩き始めたのです。
聖書には次のように記されています。

しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。

出典:『新約聖書 ルカによる福音書第24章16節』
133ページ 日本聖書協会

おそらくは、イエス・キリストの架刑を目にし、埋葬にも何らかの形で携わった可能性の高い弟子たち。
生前、イエスをそばで見て、教え受けていたことでしょう。

そうであったとしても、自分たちと歩みを共にしている人物が、数日前に亡くなり、人類で初めて復活したイエス・キリストだと認めることができなかったのは想像に難くありません。

弟子たちはイエス・キリストに、エルサレムでの一連の出来事を話します。
そして数人の女性がイエスの埋葬された墓で天使と会い、イエスが生きていると告げられたことも伝えました。

イエス・キリストは二人の弟子に、その使命や聖書に記されている預言者を通じて与えられた教えを解き明かされました。

夕暮れ時になっても旅を進めようとされるイエス・キリストを、二人の弟子は引き留め、同じ宿に泊まるよう勧めます。

ヤコブ・ヨルダーンスが描いた「エマオの晩餐」は、この宿での食事風景です。

二人の弟子とイエスは食卓につきます。
そのときイエス・キリストはパンを祝福してさき、弟子たちに渡されます。

ここにきてようやく二人の弟子は気付くのです。
旅を共にしておられたのが誰であったのかを。

彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。彼らは互いに言った、「道々お話になったとき、また聖書を解き明かしてくださったとき、お互いの心が内に燃えたではないか」。

出典:『新約聖書 ルカによる福音書第24章31~32節』
134ページ 日本聖書協会

ヤコブ・ヨルダーンスの「エマオの晩餐」で右側に描かれているのがイエス・キリストです。
イスに座っている弟子のどちらがクレオパでルカなのかはわかりません。
宿屋の主人らしき男性と給仕する女性も描かれています。

おそらくヤコブ・ヨルダーンスは、自身の身近な生活風景に聖書の話を当てはめて描き込んだのでしょう。
聖書に登場する宿がどれくらいのグレードなのかは不明ですが、少なくともこの作品に描かれているような感じではなかったと推測します。
ヤコブ・ヨルダーンスは裕福だったので、その雰囲気が作品からも伝わってくる気がします。

イエス・キリストのイスの下に描かれた小さな犬が可愛らしいですね。

ヤコブ・ヨルダーンスとは

ヤコブ・ヨルダーンスは1593年(文禄2年)フランドル地方アウトウェルペン(現在ベルギー)で生まれました。
その生涯を故郷アウトウェルペンで過ごしています。

「アウトウェルペン」というのはオランダ語風の読み方です。
「アントワープ」という呼び名の方が慣れ親しんでいますよね。

ヤコブ・ヨルダーンスの家は洋服の生地を扱う商売を営んでおり、かなり裕福だったようです。

1607年(慶長12年)に群小画家のアダム・ファン・ノールトの工房で絵画を学び始めます。
1615年(慶長20年・元和元年)には、アウトウェルペンの画家組合に入っています。

ヤコブ・ヨルダーンスは水彩画家としての資格を認められつつ、油彩画家としても頭角を現すようになります。
彼はルーベンスの助手も務め、その作風を手本としていた時期があります。

ヤコブ・ヨルダーンスは、好んで下級階層の人々を描きました。
その意味ではカラヴァッジオ派の影響も受けていたと考えられています。

1620年(元和6年)から10年くらいの間に、画家としての評価を高めます。
富裕層の芸術を愛する人々が、ヤコブ・ヨルダーンス作品を好んだのでしょう。

ルーベンスやヴァン・ダイクが亡くなった後は、フランドルを代表する画家となりました。

富裕層に認められながらも、ヤコブ・ヨルダーンスの顧客の多くは中産階級の人々だったようです。
得意としていたのは聖俗をテーマにした作品です。

ヤコブ・ヨルダーンスの名声はフランドル地方だけにとどまりませんでした。
次のような方々を含む王侯貴族からも依頼を受けていました。

  • チャールズ1世【イギリス】
  • フェリペ4世【スペイン】
  • クリスティーナ女王【スウェーデン】

オランダからは装飾の依頼を受けています。

  • 王宮ハイス・テン・ボス
  • アムステルダム市庁舎

これらから推察するに、ヤコブ・ヨルダーンスは国際的名アーティストのような存在だったと思われます。

ヤコブ・ヨルダーンスは、1678年(延宝6年)アウトウェルペンで亡くなりました。

わたなびはじめの感想・ヤコブ・ヨルダーンス作「エマオの晩餐」

エルサレムエルサレム

古い文章をもとに絵を描くとき、描く人物の知っているモノが登場しても不思議ではありません。
現代のようにネットで様々な情報を知ることができたなら、時代背景などもある程度検証できたことでしょう。

それにしてもヤコブ・ヨルダーンスの「エマオの晩餐」は、私のイメージとかけ離れています。
これは作品の良し悪しを論じているのではありません。

もしも私がこの作品の依頼主だったなら、もう少し質素で厳かな場面に描いて欲しいところです。
あるいは、本当の依頼主の要望に応えた結果が「エマオの晩餐」だったのかもしれませんね。

最後に、いつものわたなび流の感想で終わりたいと思います。
ヤコブ・ヨルダーンス作「エマオの晩餐」は、「美術館で鑑賞したい作品」です。

まとめ

ヨルダーンス「エマオの晩餐」
  1. ヨルダーンスはルーベンスの助手も務めた人物。
  2. ヨルダーンスは海外の王侯貴族からの依頼も受けていた。
  3. 「エマオの晩餐」は新約聖書ルカ伝のイエス復活後の話を題材にしている。

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