1枚の絵に込められた物語!
デフェンデンテ・フェッラーリの描いた「洗礼者聖ヨハネの命名」とは、一体どのような場面だったのでしょうか?
中央付近に立つ男性は、なぜ目を見開いているのでしょう。
1994年(平成6年)に東武美術館で開催された「ハンガリー国立ブダペスト美術館所蔵 ルネサンスの絵画」の図録をもとにご紹介します。
デフェンデンテ・フェッラーリ作「洗礼者聖ヨハネの命名」とは

- 制作年:1520年~1523年頃
- サイズ:34.6 × 64.5cm
- 油彩、板(ポプラ材)
デフェンデンテ・フェッラーリの作品「洗礼者聖ヨハネの命名」は、新約聖書の場面をもとに描かれています。
まずはヨハネについてご紹介します。「洗礼者聖ヨハネ」とは「バプテスマのヨハネ」とも呼ばれる人物です。父親は祭司ザカリヤ、母親はエリサベツで、後にヨハネはイエス・キリストに水でバプテスマを施します。
バプテスマとは福音の儀式のひとつです。
バプテスマのヨハネについては、旧約聖書の時代から預言者によって語られていました。イザヤ書には次のような記述があります。
呼ばわる者の声がする、
「荒野に主の道を備え、
さばくに、われわれの神のために、
大路をまっすぐにせよ。出典:『旧約聖書 イザヤ書第40章3節』
996ページ 日本聖書協会
イザヤ書の「呼ばわる者」とは、バプテスマのヨハネのことです。
ヨハネは、イエス・キリスト(救い主)に先立って人々を備えさせるために遣わされた人物でした。ルカによる福音書 第7章28節には、イエス・キリストが「女の産んだ者の中で、ヨハネより大きい人物はいない。」という表現で、ヨハネのことを偉大な預言者として語られた場面も記載されています。
それではデフェンデンテ・フェッラーリの描いた「洗礼者聖ヨハネの命名」の場面に話を移しますね。
新約聖書 ルカによる福音書には、バプテスマのヨハネの誕生にまつわる出来事が記されています。
祭司ザカリヤとその妻エリサベツは、神の戒めを守る正しい人たちでした。二人には子供がいませんでした。ザカリヤもエリサベツも、すでに年老いていました。
そのような状況でしたが、ザカリヤが主の聖所で祭司の務めをしているときに主の御使(ガブリエル)の訪れを受けます。御使(みつかい)は幾つかのことをザカリヤに告げます。
- ザカリヤの祈りが聞き入れられたこと。
- エリサベツが男の子を生むということ。
- 男の子の名前は「ヨハネ」と名付けること。
- ヨハネはザカリヤに喜びと楽しみをもたらすこと。
- 多くの人もヨハネの誕生を喜ぶということ。
etc...
ザカリヤは年老いても、子供を授かるように神様に願っていたのでした。
しかしザカリヤは主の御使の言葉をすぐには信じることができませんでした。ある意味、無理もないことだったのかもしれません。子供を授かりと願いつつも、自分たち夫婦は年老いてしまっていたのですから…
主の御使はザカリヤに次のように伝えました。
時が来れば成就するわたしの言葉を信じなかったから、あなたは口がきけなくなり、この事の起る日まで、ものが言えなくなる。」
出典:『旧約聖書 ルカによる福音書第1章20節』
82ページ 日本聖書協会
その後、ザカリヤの妻エリサベツはみごもります。
ルカによる福音書では、続いて受胎告知の場面が記されています。主の御使(みつかい)であるガブリエルがマリアのもとを訪れ、イエス・キリストを産むことになると告げたのです。
マリアはエリサベツのもとを訪ね、3ヶ月ほど滞在した後、家に帰りました。
その後ついにエリサベツの出産のときがきて、御使(みつかい)の言葉通りに男の子が誕生しました。
ヨハネが生まれたことを知った近所の人や親戚は、ザカリヤとエリサベツのもとに集まり、喜びました。
そして、デフェンデンテ・フェッラーリが描いた「洗礼者聖ヨハネの命名」の場面となります。
ヨハネが誕生して8日目、割礼の儀式を施すために人々が集まりました。そして男の子の名前を「ザカリヤ」にしようとします。
しかし、エリサベツは「ヨハネ」にすると言います。集まった人々は、まだ口のきけないザカリヤにどのような名前にするか尋ねました。するとザカリヤは、書板に「その名はヨハネ」と書きました。
人々が不思議に思っていたとき、ザカリヤが話せるようになり神様を賛美し、預言しはじめたのでした。
デフェンデンテ・フェッラーリは「洗礼者聖ヨハネの命名」で、幼いヨハネを囲んでいる人々の表情を通じてこの場面をドラマチックに表現しています。
テーブルを囲む男性が、ヨハネに割礼の儀式を施そうとしている人たちでしょう。
左端に座して描かれている父親のザカリヤは、この時点では言葉を発せられなかったので、ヨハネの名前を文字で伝えています。
ヨハネの背後に描かれている男性二人は、ヨハネを慈しむような目で可愛がっているように見えます。あやしているのかもしれませんね。
しかし、白い衣服に赤地の外套らしきものを纏(まと)った男性は、顔を後ろに向けてザカリヤを見ながら目を見開いている感じがします。
その表情は、ザカリヤが息子にどのような名をつけるのかを注視しているようにも、書かれた文字を見て驚いているようにも受け取れますね。
「洗礼者聖ヨハネの命名」からは、描かれた人々の表情によって場面に動きが与えられているのが伝わってきます。
少し暗い雰囲気なので表情を読み取るのは難しいですが、新約聖書を読むとより一層理解が深まります。
デフェンデンテ・フェッラーリとは

デフェンデンテ・フェッラーリは1480年(文明12年)頃、イタリアのキヴァッソで誕生しました。
キヴァッソはイタリア北西部の街で、現在はピエモンテ州トリノ県に属しています。
デフェンデンテ・フェッラーリは、マルティーノ・スパンツォッティに師事していました。
フェッラーリの作品の多くは、キヴァッソやヴェルチェッリ、トリノといったイタリア北部の街に存在する修道院や教会のために制作されたようです。
フェッラーリの生まれたピエモンテ地方では、フランス南部やドイツ、ネーデルランドといった地域の影響を受けていたようです。それは、フェッラーリの作品にも当てはまります。
フェッラーリの祭壇画はわずかしか現存していません。
デフェンデンテ・フェッラーリは、1535年(天文4年)以降に亡くなっていると考えられています。
わたなびはじめの感想:デフェンデンテ・フェッラーリ「洗礼者聖ヨハネの命名」について

私には、「洗礼者聖ヨハネの命名」の中央付近でザカリヤを振り返っている男性の表情が印象的でなりません。
大げさな身振りなどはありませんが、表情で十分にその心境を物語っています。
デフェンデンテ・フェッラーリの「洗礼者聖ヨハネの命名」では、この後ろを振り向いている男性が主役なのではないかと思えるほどです。
最後に、いつものわたなび流の感想で終わりたいと思います。
デフェンデンテ・フェッラーリ作「洗礼者聖ヨハネの命名」は、「美術館等で鑑賞したい作品」です。
もう一度、描かれた人物の表情をじっくりと鑑賞してみたいところです。
まとめ
- フェッラーリは、新約聖書の一場面を描いた。
- 身振りなどの動きは少ないが、描かれた人物の表情により場面を表現している。
- 描かれている人物の表情に注目。