美術作品

女性を美しく描く画家!ピエール=オーギュスト・ルノワール作 「ガーンジーン島の子供たち」|国立西洋美術館「バーンズ・コレクション展」より

バーンズコレクション・ルノワール「ガーンジーン島の子供たち」

1994年(平成6年)に国立西洋美術館にて開催された「バーンズ・コレクション展」。
すばらしい絵画を観ることができて感動しました。

今回はバーンズ・コレクション展の図録からピエール=オーギュスト・ルノワール作「ガーンジーン島の子供たち」の感想をご紹介します。

■ピエール=オーギュスト・ルノワール作「ガーンジーン島の子供たち」

  • 制作年:1883年
  • サイズ:54.3 × 65cm
  • 油彩、カンヴァス

ピエール=オーギュスト・ルノワール作「ガーンジーン島の子供たち」

バーンズコレクション・ルノワール「ガーンジーン島の子供たち」

ルノワールが「ガーンジーン島の子供たち」で描いた風景は9月の光景だったようです。
ガーンジーン島はイギリス領で、イギリス海峡のチャンネル諸島にある島々のひとつです。

ルノワールは、1883年(明治16年)9月にガーンジーン島などを旅した際にスケッチを残しており、パリに戻ったのちにその風景を描きました。
ガーンジーン島の子供たち」も、そのスケッチが基絵になっていると思われます。

9月に海で遊んでいる光景が気になり、ウィキペディア「ガーンジー」を調べたところ、1981年~2010年の気温は次のようになっていました。

最高気温記録
27.0℃
平均最高気温
18.0℃
日平均気温
15.5℃
平均最低気温
12.9℃
最低気温記録
7.0℃
出展元:ウィキペディア「ガーンジー

海に浸かっている人がいることから考えると、ルノワールの旅した年の9月は暖かかったのかもしれませんね。

砂浜というよりは岩場なのでしょう。
岩場の人々の服装をみると、女性は7分丈くらいの袖の服装を、男の子は長袖・長ズボンです。

現代の海水浴とは違うことは想像できますが、海水に浸かっている人も服を着ているように見えますね。

ルノワールの「ガーンジーン島の子供たち」の描き方は、輪郭を明確にしない自由さを感じる筆使いとやわらかい表現が特徴と言えるでしょう。

海の様子を、青の濃淡、海藻かと思われる緑、白い波で表現しているのですが、非常に大雑把でありながら雰囲気としては認識できる不思議な光景のように感じます。

実際の光景を正確には描写していないのにも関わらず、作品として成立させている印象派の画家の魅力を感じないではいられません。

ハッキリと表情が描かれていないのに、画面右前の3人の女性(大人?お姉さん?1人、子供2人)は美しく、可愛らしいというところにルノワールらしさを感じてなりません。

左側の男の子たちは、貝殻でも割っているのでしょうか?

私には16人の人物が描き込まれているように見えるのですが、いかがでしょうか?

ピエール=オーギュスト・ルノワールとは

ピエール=オーギュスト・ルノワールは印象派を代表するフランス人画家のひとりです。
ルノワールの描く人物は、やわらかくて美しさを併せ持っているのが特徴的です。

ルノワールはフランス・オート=ヴィエンヌ県リモージュで、1841年(天保12年)2月25日に誕生しました。
家業は仕立屋を営んでいました。

ルノワールの幼い頃、家族でパリに移り住みます。
住居はルーヴル美術館に近かったようですが、労働者階級の人々が暮らす地域だったようです。

ルノワールは歌が上手で、サン・トゥスタッシュ教会の聖歌隊に加入していたとか。

1854年(嘉永7年・安政元年)、13歳で見習いとして磁器の絵付職人の仕事をはじめますが、4年間程で失業。
失業の理由は、産業革命による機械化の影響が関係していました。
また、聖歌隊は絵付け職人の徒弟になる時点で辞めていました。

その後は扇子の装飾などの仕事をしていました。
「絵」にまつわる仕事に興味があったのではないかと想像できますよね。

1862年(文久2年)、ルノワールは画家を目指して帝立美術学校のシャルル・グレールの画塾に入ります。
画塾ではモネやシスレーらと親しくなります。

1864年(文久4年・元治元年)には、フランスの王立絵画彫刻アカデミーが主催する公式美術展覧会「サロン・ド・パリ」に入選を果たします。

画家として順風満帆と思われたルノワールでしたが、フランスを取り巻く情勢がそれを許しませんでした。

1870年(明治3年)に普仏戦争が勃発したのです。
ルノワールは騎兵隊として従軍しました。
1871年(明治4年)に普仏戦争が終わります。

パリに戻ったルノワールは、1874年(明治7年)にモネやピサロといった画家とともにサロンとは別に展覧会を開きます。
それが記念すべき第1回の印象派展だったのです。

全部で8回開催された印象派展ですが、ルノワールは第1、2、3、7回の計4回、作品を出展しています。

第3回の印象派展後は、サロンに再度応募するようになります。
どうやら経済的な問題が関係していたようです。

1881年(明治14年)、ルノワールはアルジェリアやイタリアへの旅に出ます。
イタリア・ローマではラファエロの作品を目にする機会があり、刺激を受けました。

その後、ルノワールの作風に古典主義の傾向が見られるようになります。

1892年(明治25年)にデュラン=リュエル画廊にて開催された回顧展でルノワールの評価が高まります。
同年に描いた「ピアノに寄る少女たち」は政府の買い上げとなります。

晩年にはリウマチを患いながら、作品制作を続けたルノワールでしたが、1919年(大正8年)12月3日に亡くなりました。

わたなびはじめの感想・「ガーンジーン島の子供たち」

アンリ・マティス作 「音楽のレッスン」』の記事でも書きましたが、絵画を写実性至上主義ともいうべき見方をしていた私にとって、バーンズ・コレクション展の全ての作品は衝撃的でした。

ルノワールの「ガーンジーン島の子供たち」も私の眼を開いてくれた作品のひとつです。

ルノワールの作品の特徴は、何と言っても女性を美しく描くことだと思っている私。
もちろん、筆のタッチや色使いも魅力的ですが…。

ボストン美術館に所蔵されている「海辺の子供たち」(制作1883年)は、この作品と非常に類似しています。
ガーンジーン島の子供たち」に描かれている上述した3人の女性の周辺を、切り取ったような構図の作品です。

バーンズ・コレクション展の図録の解説にもそのような趣旨のことが書かれています。

ルノワールはこの作品を基に、大きな≪海辺の子供たち≫(1883年、ボストン美術館)を描いた。

出典:『バーンズ・コレクション展図録』喜多崎 親著 37ページ

※この解説における≪海辺の子供たち≫は、≪ガーンジー島の海岸のこどもたち≫というタイトルでも紹介されているようです。

仮にこの解説を読んでいなかったとしても、2つの作品を見比べたなら、描かれた順序について同じ結論に至ることでしょう。
ボストン美術館にある≪海辺の子供たち≫は、より範囲が狭められ、人物の表情が一層明確に描かれているからです。

個人的には、想像力がより豊かに発揮されるバーンズ・コレクション展の「ガーンジーン島の子供たち」の方に魅力を感じます。

美しいものがさらに美しく、頭の中で再構成される感じがするからです。

最後におこがましいことを承知の上で、いつものわたなび流の感想を述べて終わりにします。

ルノワールの描いた「ガーンジーン島の子供たち」は、「非常に魅力的なので、何度でも観たい…できれば欲しい(自宅に飾りたい)作品」です。

また観賞できる機会を楽しみにしています。

まとめ

ルノワール「ガーンジーン島の子供たち」
  1. 岩場で遊ぶ子供たちを自由な筆運びで描いた作品。
  2. 9月に海で遊べるのかと違和感も感じたが、そんなことはどうでもよくなるほど魅力的。
  3. 女性が美しく描かれている、ルノワールらしい作品。

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