2003年(平成15年)、国立西洋美術館で開催された「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展において、私は衝撃的な2作品と出会いました。
ひとつは「病人たちを癒すキリスト(100グルデン版画)」。
そしてもうひとつの作品が、今回ご紹介する、レンブラント・ファン・レイン作「三本の十字架」です。
あらかじめ、ご了承ください。
レンブラント・ファン・レイン作「三本の十字架」とは

■レンブラント・ファン・レイン作「三本の十字架」
- 制作年:1653年
- サイズ:38.5 × 45cm
- ドライポイント、ビュラン
レンブラントが「三本の十字架」で題材としたのは、新約聖書に記載されているイエス・キリストの架刑の場面です。イエス・キリストの十字架の刑についての描写は、マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの各福音書に記載されています。
なぜ「三本の十字架」なのでしょう?
その理由は、罪なきイエス・キリストが、二人の罪人とともに十字架に架けられたからでした。その場面をマタイによる福音書から引用します。
そしてその頭の上の方に、「これはユダヤ人の王イエス」と書いた罪状書きをかかげた。同時に、ふたりの強盗がイエスと一緒に、ひとりは右に、ひとりは左に、十字架につけられた。
出典:『新約聖書 マタイによる福音書 第27章37~38節』
48ページ 日本聖書協会
十字架の刑が執行されたのは、ゴルゴタ(「されこうべ」という意味)という場所でした。その場所は、ラテン語では「カルバリ」と呼ばれています。
ゴルゴタにはイエス・キリストを信じる人々だけでなく、刑の執行人や敵対者もいました。祭司長、律法学者、長老たちらは、イエス・キリストを罵り、嘲弄(ちょうろう)しました。
ヨハネによる福音書には、イエス・キリストの母マリヤも近くにいたことが記されています。
さて、イエスの十字架のそばには、イエスの母と、母の姉妹と、クロパの妻マリヤと、マグダラのマリヤとが、たたずんでいた。
出典:『新約聖書 ヨハネによる福音書 第19章25節』
174~175ページ 日本聖書協会
レンブラントの「三本の十字架」に描かれている、イエス・キリストの右下で介抱されている人を含めた女性たちがこの人々でしょう。
介抱されているマリアと思われる女性の後ろに立つ男性は、イエス・キリストが死んでもその場からすぐには立ち去ろうせず、両方の手のひらを顔の横に当てて嘆き悲しんでいるようにも、何かを叫んでいるようにも見えます。
画面の中央付近で地面に伏している人は、イエス・キリストの死を悲しんでいる人なのかもしれません。
「三本の十字架」の左側には、手で顔を覆っている人々が描かれています。イエス・キリストの死を嘆いているか、むごい処刑を見ていられなかったのかはわかりませんが、その場から立ち去ろうとしているのは確かなようです。
また、馬に乗った兵卒も描かれています。画面中央の立ち去る二人の男性たちは見物人でしょうか。
背を向け、立ち去る人々が描かれていることからわかるのは、この作品にはイエス・キリストが息を引き取られた後の場面が描かれているということです。
「三本の十字架」は、レンブラントの版画作品の中でも重要な作品であることは間違いないでしょう。
「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展の図録によると、レンブラントは「三本の十字架」を第6ステートまで制作しています。全部で6種類あるということです。今回ご紹介している「三本の十字架」は、第3ステートになります。
私はこの作品を観たとき、その存在感に圧倒されました。確かにレンブラントの聖書からイメージした描写力の凄さにも驚きましたが、技法がどうとかということではなく、それらを超越した作品全体の持つチカラに圧倒されたのです。私の心のうちにある、イエス・キリストへの想いも影響したことでしょう。
もちろん、美術作品で感動したのは初めてではありませんでしたが、このような衝撃は極めて稀なことでした。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインとは

「光と影の画家」と呼ばれ、オランダ・バロック絵画を代表する画家のひとりレンブラント・ファン・レインの生涯については、『すぐわかる!レンブラント・ファン・レインとは|「光と影の画家」の生涯について』をご参照ください。

わたなびはじめの感想:レンブラント・ファン・レイン作「三本の十字架」について

レンブラント・ファン・レインの「三本の十字架」は美術作品として稀有なほどにすばらしく、この作品を目にしたときには心が震える感覚を覚えました。
それと同時に、私はイエス・キリストを信じ、礼拝しているため、イエス・キリストに関連する様々な思いが心に溢れました。
ここで、美術作品としてのレンブラント作「三本の十字架」に対する感想をお伝えします。
レンブラント・ファン・レイン作「三本の十字架」は、「自宅に飾りたい(可能であれば、心から欲しい)と思う作品」です。
「病人たちを癒すキリスト(100グルデン版画)」同様に、心が揺さぶられます。私にとってこの作品の持つ空間支配力はとてつもないものです。圧倒的存在感と言っても過言ではないでしょう。
人物がイラストチックだとか、明るいとか暗いとか、そのようなことはどうでもいい感じです。作品自体の存在感に、しばらく呆然としてしまうほどでした。
僕はきっと「何時間でも観ていたい」と感じるはずだよ。
イエス・キリストは何をしてくださったのでしょうか?
今回は、レンブラントのイエス・キリストの十字架の刑を描いた版画「三本の十字架」をご紹介してきました。
ところで、もうすぐクリスマス・シーズンですね。世界の多くの国々で、人々はイエス・キリストの誕生を祝います。
では、イエス・キリストは何をしてくださったのでしょうか?
イエス・キリストの誕生が多くの人々に祝われるのには理由があります。それは、人間が自分自身では乗り越えられない二つの障害【罪】と【死】を克服してくださったからです。死と罪を克服できなければ、神様のもとに帰ることはできません。神様は愛のお方でありますが、同時に正義のお方でもあるからです。
人は罪を犯せば、罰を受けなければなりません。自分が罪悪感を持った状態で、聖なる神様と共に暮らすことは不可能です。おそらく自分自身が辛い気持ちになることでしょう。
そこでイエス・キリストが全ての人の身代わりとなり、全人類が犯した罪(神様の教えを知っていて背くことや知らずのうちに神様に背いてしまう咎[とが])のために受けるはずの罰を、身代わりとして受けてくださったのです。
これにより、イエス・キリストを信じ、戒めを守り、悔い改める人は、罪の赦しを受けて清くなることが可能となりました。権能を持つ人から儀式を受け、死ぬまでイエス・キリストに従い続ける人は、イエス・キリストにより【罪】を克服し、神様のもとに帰る道が用意されたのです。
もうひとつの問題は【死】です。死についてもイエスキリストの復活により、死んだ後に再び肉体を得られるようになりました。そのためにイエス・キリストは、十字架上での死を免れようとされなかったのです。神様も完全な肉体をお持ちです。復活後に死ぬことはありません。
私はイエス・キリストを信じ、感謝をしている人間のひとりです。イエス・キリストの教えを学び、従う努力をしています。度々、過ちを犯してしまうので、そのたびに悔い改めてより良い人間になろうとしているのです。父なる神様とイエス・キリスト様を愛しています。
まとめ
- レンブラントは新約聖書のイエス・キリストの架刑の場面を描いた。
- 「三本の十字架」は全部で第6ステートまである。
- レンブラントの版画を代表する作品のひとつ。