19~20世紀に活躍したアメリカの画家ハリー・ウィルソン・ワトラスとは、どのような生涯を送ったのでしょうか?
わかりやすくご紹介します。
ハリー・ウィルソン・ワトラスとは

ハリー・ウィルソン・ワトラスは、1857年(安政4年)9月17日にサンフランシスコで誕生しました。その後、家族とともに1864年(文久4年・元治元年)にニューヨークに移っています。
1870年代には絵画の個人指導を受けています。1880年(明治13年)には画家として人名録に名を連ねています。
その後、1881年(明治14年)から大西洋を渡り、スペイン、北アフリカを経てフランス・パリに滞在します。その期間は5年間ほどでした。
パリ滞在中には、フランス人画家のレオン・ジョゼフ・フロランタン・ボナから学んでいます。
その他にも私立美術学校であるアカデミー・ジュリアンで、ジュール・ジョセフ・ルフェーヴル、ギュスターヴ=ロドルフ・ブーランジェの指導も受けました。
上記以外のハリー・ウィルソン・ワトラスに影響を与えた芸術家。
- ジャン=レオン・ジェローム:画家、彫刻家
- ウィリアム・アドルフ・ブグロー:画家
- ジャン=ルイ=エルネスト・メッソニエ:画家
ハリー・ウィルソン・ワトラスに最も影響を与えた人物は、歴史風俗画家のジャン=ルイ=エルネスト・メッソニエです。
ジャン=ルイ=エルネスト・メッソニエの精密かつ丁寧な画風は、1886年(明治19年)にニューヨークに戻った後のハリー・ウィルソン・ワトラス作品に感じ取ることができます。
ハリー・ウィルソン・ワトラスは、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの準会員を経て、翌年の1895年(明治28年)に正会員に選ばれています。
1890年(明治23年)以降のハリー・ウィルソン・ワトラス作品には、センチメンタルな風俗画(女性)を描くことが多くなりました。
ところが1900年代に入り、ハリー・ウィルソン・ワトラスの視力が衰え始めます。十数年後には回復したようですが、静物画を描くことが多くなります。
1933年(昭和8年)にはナショナル・アカデミーの会長に選出されています。
ハリー・ウィルソン・ワトラスは、1940年(昭和15年)5月10日に亡くなりました。
なびさんぽで紹介しているハリー・ウィルソン・ワトラス作品

【なびさんぽ】でご紹介しているハリー・ウィルソン・ワトラスの作品は次の通りです。
乙女のごとく | 制作:1915年。 【ブルックリン美術館所蔵】 |
---|
まとめ
- 約5年間の歳月をかけスペイン、北アフリカ、フランスを旅した。
- 歴史風俗画家のジャン=ルイ=エルネスト・メッソニエから最も影響を受けた。
- ハリー・ウィルソン・ワトラスは、ナショナル・アカデミーの会長に選出された人物。