1997年(平成9年)に開催された「プーシキン美術館所蔵 イタリア・バロック絵画展」の図録の表紙を飾った作品をご紹介します。
イタリアの画家、ルーカ・フェッラーリ作「ソフォニスバ」です。
気品ある美しい女性を描いたこの作品は、ルーカ・フェッラーリの生まれる1800年程前に実在した女性を描いたバロック絵画です。
右手にはグラスを持ち、悲し気に見開かれた目と左手からは、「なぜ?」「これしか選択肢はいの?」とでも言いたげな雰囲気を感じます。その見つめる先にいるのは、ソフォニスバの愛するマシニッサなのでしょう。
ソフォニスバの前に広げられた紙包の中には、彼女が持つグラスに入れられた毒が入っていたのだと推察されます。
ソフォニスバはなぜ、毒を飲まねばならなかったのでしょうか?
しかも、愛する人の指示で…
ソフォニスバを襲った悲劇ともいえる出来事と作品についてご紹介します。
ルーカ・フェッラーリ作「ソフォニスバ」とは、実在した悲劇の女性

■ルーカ・フェッラーリ作「ソフォニスバ」
- 制作年:1640年代(推定)
- サイズ:126.0 × 106.0cm
- 油彩、カンヴァス
第二次ポエニ戦争時に実在したとされるソフォニスバ。彼女の生涯は悲劇に満ちています。
後世、ソフォニスバの悲しみは戯曲「ソフォニスバ、驚くべき女人」としても知られたようです。戯曲の作者はイングランドのジョン・マーストン。戯曲が作られたのは1605年(慶長10年)頃のようです。
では、ソフォニスバはどのような女性だったのでしょうか?
上述の通り、ルーカ・フェッラーリが描いた「ソフォニスバ」の右手にあるのは毒入りのグラスだと思われます。
なぜ、ソフォニスバは服毒しなければならなかったのでしょうか?その経緯を簡単にご紹介します。
ソフォニスバの生きた時代背景:第二次ポエニ戦争とは
第二次ポエニ戦争は、紀元前219年~紀元前201年にかけてローマとカルタゴの間で行なわれた戦争です。3回にわたって繰り広げられたポエニ戦争の第2回目ということになります。
カルタゴには連戦連勝の将軍ハンニバル・バルカがいました。結果はカルタゴの敗戦となりますが、ローマにとっては多大な損害が残る戦いでした。
ソフォニスバの悲劇
ソフォニスバはカルタゴの貴族の家に生まれます。父親はカルタゴの将軍ハスドルドル。ソフォニスバは東ヌミディアの王子マシニッサと婚約していました。
ところが、カルタゴと同盟を結んだ西ヌミディア・マサエシュリの王シファクスが、ソフォニスバを奪い妻とします。
開戦当初はカルタゴと同盟していたマシニッサですが、その後ローマ側に付きます。マシニッサが身を置いたローマは、カルタゴと(シファクス率いる)ヌミディアの同盟軍に勝利します。シュファクスはローマの捕虜となりました。
マシニッサは婚約者だったソフォニスバと結婚します。ソフォニスバは、ローマの捕虜にならずに済んだのです。
ここで終わればよかったのですが…
マシニッサの行動は、同盟国となっていたアフリカのシピオンの怒りを招くことになってしまいます。(ローマに容認されなかったとも言われているようです。)
苦渋の決断だったことでしょう。マシニッサはソフォニスバに毒入りのグラスを渡します。ソフォニスバは愛する人の毒により生涯を閉じたと言われています。
ルーカ・フェッラーリとは

イタリア・バロック期にボローニャ派の画家として活躍したルーカ・フェッラーリについては、『すぐわかる!ルーカ・フェッラーリとは』をご参照ください。

わたなびはじめの感想:ルーカ・フェッラーリ「ソフォニスバ」について

ルーカ・フェッラーリは、悲劇的に生涯の幕を閉じたソフォニスバを、この上なく美しい女性として描きたかったのではないでしょうか?
私の推測にすぎませんが…。
しかし、日本においても悲劇的な最期を遂げた女性を「美女」と呼んだりしますよね。
- 小野小町
- お市の方
呼ばれるだけでなく、本当に美しかったのかもしれません。
ルーカ・フェッラーリの話に戻りますね。
いずれにしてもルーカ・フェッラーリの描いた「ソフォニスバ」は、絵画としてだけでなく、女性としても美しく描かれています。
実在した人物の人生を悲劇と呼ぶのも失礼な話ですが、「悲劇」と「美」といった組み合わせは、作品を観る人の関心も高めたのではないでしょうか?
最後に、わたなび流の感想で終わります。
ルーカ・フェッラーリ作「ソフォニスバ」は、「美術館で鑑賞するのがいい(欲しいとまでは思わない)作品」だと思います。
自宅に飾りたいとまでは思えなかったのは、雰囲気が違いすぎて似合わないからです。
まとめ
- 愛する人の指示で毒を飲んだ女性「ソフォニスバ」。
- ルーカ・フェッラーリは、ボローニャ派の画家。