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すぐわかる!カミーユ・サン=サーンスとは

すぐわかる!カミーユ・サン=サーンスとは
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交響曲第3番「オルガン付」の作曲で有名なカミーユ・サン=サーンスは、19~20世紀に活躍したフランスの作曲家です。ピアノやオルガンの奏者でもありました。

サン=サーンスはどのような生涯を送ったのでしょうか?

わかりやすくご紹介します。

サン=サーンス、誕生~青年時代

フランス・パリフランス・パリ

1835年(天保6年)10月9日にパリで生まれました。しかしその後まもなくして、父親が他界します。

幼い頃のサン=サーンスは、まさしく神童と呼ばれる少年でした。2歳の頃にはピアノを弾いて、3歳で作曲をしたと言われています。

13歳でパリ音楽院に入り、作曲とオルガンを学びます。サン=サーンスが交響曲を初めて作曲したのがおよそ16歳の頃。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
サン=サーンスの交響曲には完成していない「未完」の作品が2曲あるんだよ。
この2曲は、交響曲作品としては最初期のもの。

また、交響曲1~3番以外にも、2曲の交響曲を残している。

16歳前後で作曲し交響曲は「交響曲イ長調」。交響曲1番はその後の作品になるんだ。

サン=サーンス、オルガニスト・教師として

フランス・パリ【マドレーヌ教会(寺院)】フランス・パリ【マドレーヌ教会(寺院)】

サン=サーンスはオルガンの腕もすごかったようです。1857年(安政4年)から約20年間に渡り、パリにあるマドレーヌ教会のオルガニストを務めていました。当時、マドレーヌ教会でのオルガニストは、パリで最高峰のオルガン奏者の証でした。

1861(万延2年・文久元年)からの数年間は、ニデルメイエール音楽学校において教師を勤めていました。

サン=サーンスはフランスの音楽振興にも精力的でした。1871年(明治4年)には、フランクやフォーレといった人達とともに「国民音楽協会」の設立に携わっています。

サン=サーンス、作曲家として

パリの街並みパリの街並み。

サン=サーンスには代表作がいくつかありますが、歌劇「ヘンリー八世」は特に有名です。初演で大成功しています。

晩年のサン=サーンスは勲章を授けられるなど、その功績が認められ称えられています。

1921年(大正10年)12月16日に亡くなりましたが、葬儀は国葬として執り行われました。

サン=サーンスの作品の一部をご紹介します。

歌劇(オペラ) ●歌劇「サムソンとデリラ」
●歌劇「ヘンリー八世」
バレエ音楽 ●バレエ音楽「ジャヴォット」
交響曲 ●交響曲第1番・第2番
●交響曲第2番
交響曲第3番「オルガン付」
ピアノ協奏曲 ピアノ協奏曲第1番~第5番
チェロ協奏曲 チェロ協奏曲第1番~第2番
わたなびはじめ
わたなびはじめ
そういえば、フランツ・リストとも親交があったみたいだよ。

まとめ

サン=サーンスとは
  1. 作曲家としてだけでなくピアニストやオルガニストとしても活躍。
  2. 国民音楽協会の設立に携わった人物のひとり。
  3. 交響曲第3番「オルガン付」はテレビCM等でも使用される有名曲。

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