スペインのアルハンブラ宮殿にはリンダラハという名の中庭(パティオ)があります。
それと同じタイトルの音楽がクロード・ドビュッシー作曲の「リンダラハ」(2台ピアノのための)です。
ヴラディミール&ヴォフカ・アシュケナージのピアノ演奏で楽しみました。
■ドビュッシー&ラヴェル:2台ピアノのための作品集 アシュケナージ
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クロード・ドビュッシー作曲「リンダラハ」(2台ピアノのための)とは

「リンダラハ」は1901年(明治34年)4月頃にドビュッシーによって作曲された2台ピアノ用の楽曲です。
ドビュッシーによる2台ピアノの曲としては、他に「白と黒で」(1915年)があります。
「リンダラハ」は、スペインのアンダルシア州グラナダにあるアルハンブラ宮殿の中庭(パティオ)の名称です。アルハンブラ宮殿には中庭が複数あります。「リンダラハ」はそのひとつです。中庭(パティオ)にその名が付けられたのには、アルハンブラ宮殿に住んでいたムーア人女性の名前に由来しています。
ドビュッシーの作曲した「リンダラハ」は、作曲者によって公開されたものではありません。どうやらドビュッシーには発表する気はなかったようです。
ドビュッシーが亡くなった後に、他の楽譜に埋もれていたのを発見され1926年(大正15年・昭和元年)に出版されました。初演は1926年10月に、フランス人ピアニストのマルグリット・ロンとフランス人作曲家ロジェ=デュカスにより行なわれました。
ドビュッシーがスペインを訪れたことはないはずなので、フランス国内に流通していた雑誌などからアルハンブラ宮殿やリンダラハについての知識を得ていたと思われます。
「リンダラハ」のリズムはスペインの舞曲に由来しています。
「リンダラハ」は曲を印象付ける単調さなどから、しばしばラヴェルの「スペイン狂詩曲 第3曲 ハバネラ」の模倣と言われているようです。
仮にそうだとしてもドビュッシー自身が世に出す意思が無かったとするならば、友人の楽曲を模倣して何かを学ぼうとしたとしても問題はないように思います。
残念ながら、ドビュッシーとラヴェルの友人関係は1904年頃(明治37年)に終わりを迎えてしまいました。その原因はよく分かっていません。
クロード・ドビュッシーとは

クロード・アシル・ドビュッシーは19世紀中期から20世紀前半に生きた、後期ロマン派のフランス人作曲家です。メーテルリンクの戯曲を原作とした歌劇「ペレアスとメリザンド」、「牧神の午後への前奏曲」などの代表作があります。
クロード・ドビュッシーについては『すぐわかる!クロード・ドビュッシーとは|その生涯と作品たち』をご参照ください。

ヴラディミール&ヴォフカ・アシュケナージについて
ヴラディミール&ヴォフカ・アシュケナージ父子については、『3分に満たない曲!モーリス・ラヴェル「鐘が鳴る中で」(『耳で聞く風景』から-2台ピアノのための)|ヴラディミール&ヴォフカ・アシュケナージ』をご参照ください。

わたなびはじめの感想:ドビュッシー「リンダラハ」について

アルハンブラ宮殿といえば、スペインの作曲家フランシスコ・タレガによるギター曲「アルハンブラの想い出」が真っ先に浮かんできます。
美しくもどこか寂しさを伴った雰囲気の名曲で、トレモロ奏法が有名ですよね。
ここからはアシュケナージ父子の演奏による、ドビュッシー作曲「リンダラハ」(2台ピアノのための)の感想をお伝えします。
演奏時間は約6分弱のリンダラハ。
悲し気な響きを伴う強めの音ではじまった後、やさしい響きへと移り変わります。同じ旋律が繰り返されている中で、もう1台のピアノがアクセントを与えます。
やがて郷愁を誘うようなメロディへと移り、少しだけ華やぎをみせます。その後はピアノの低音のリズムに牽引されつつ展開し、再び華やぎを取り戻します。
中盤は穏やかさを保ちつつ、この時点ですでに耳についてしまったフレーズがところどころで繰り返されます。最後は徐々に音が弱まっていき、消えていく感じです。
曲中にふっとヱビスビールのテレビCMで使用されていた「第三の男のテーマ?」を思い出すようなフレーズがあるのが印象的でした。
アシュケナージ父子のピアノ演奏は、何と言っても音がキレイです。DECCA(デッカ)録音技術も関係しているでしょうが、純粋に「美しい」という気持ちを感じます。
ドビュッシーの「リンダラハ」は個人的には好んで聞く楽曲ではありませんが、嫌いではありません。部屋で聴きたい曲を選曲してBGMリストを作るとしたら、加えたい1曲です。
まとめ
- リンダラハとはアルハンブラ宮殿の中庭のひとつ。
- リンダラハは1901年、ドビュッシーにより2台ピアノ用として作曲された。
- ドビュッシーの死後に楽譜が発見された。
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