組曲「惑星」で知られるホルストは、おもに20世紀に活躍したイギリスを代表する作曲家のひとりです。
ホルストがどのような生涯を送ったのか、わかりやすくご紹介します。
ホルストとは

グスターヴ・ホルストは、近代イギリスを代表する作曲家のひとりです。
イギリス(イングランド)グロスターシャー州チェルトナムで、1874年(明治7年)9月21日に生まれました。チェルトナムは保養地として知られています。
父親は音楽教師で、母親はピアニスト。ホルストは、音楽が身近にある家庭に生まれ育っています。
1893年(明治26年)、ホルストは王立音楽院(ロンドン)に入学しますが、作曲への取り組みはそれ以前から行なっていました。
王立音楽院では、トロンボーンも学びました。作曲家のサー・チャールズ・ヒューバート・ヘイスティングス・パリーやサー・チャールズ・ヴィリアーズ・スタンフォードのもとで学んでいます。
毎年夏に開催される音楽コンサート「BBCプロムス」のラストナイト・コンサートでも、「ルール・ブリタニア」や「威風堂々」等と共に会場全体で大合唱されているんだ。
王立音楽院を卒業したホルストには、オーケストラでトロンボーン奏者を生業としていた時期があります。
1903年(明治36年)、ホルストはダリッジの女学校で音楽教師になっています。
1905年(明治38年)以降は、ハマースミスのセント・ポール女学校や王立音楽院などでも教鞭をとっています。教師としての生活は亡くなるまで続けられました。
ホルストの作曲活動は、教師生活と並行して行われていました。週末や夏季休暇などが利用されたようです。
興味深いことは、ホルストがインドの文学や哲学に興味を持っていたことです。他者の翻訳では満足できなかったようで、自らサンスクリット語をロンドン大学で学ぶほど傾倒していた時期がありました。
その後は惑星や占星術に関心を移しています。組曲「惑星」が作られるバックボーンと言ったところでしょう。
ホルストの代表作は、やはり組曲「惑星」です。その他の作曲も手掛けましたが、惑星ほどの成功は収められなかったようです。
グスターヴ・ホルストは、1934年(昭和9年)5月25日にロンドンで亡くなりました。死因は出血性胃潰瘍でした。
なびさんぽで紹介しているホルスト作品

【なびさんぽ】でご紹介しているホルストの作品は次の通りです。
組曲「惑星」 | 初演:1919年(大正8年)2月27日。 ※「金星」と「海王星」は含まれいなかった。 全曲初演:1920年(大正9年)11月15日。 |
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まとめ
- 近代イギリスを代表する作曲家のひとり。
- とにかく組曲「惑星」が有名!
- オーケストラでトロンボーン奏者をしていた時期がある。