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すぐわかる!アンソニー・ヴァン・ダイクとは

アンソニー・ヴァン・ダイクとは

フランドル出身で、バロック期を代表する画家のひとりアンソニー・ヴァン・ダイク(アントーン・ファン・ダイク)とはどのような画家だったのでしょうか?

英国王チャールズ1世の肖像画のほか、宗教画や歴史画なども描き、水彩画やエッチングでも名を馳せたヴァン・ダイク。

イングランド絵画にも大きな影響を与えたヴァン・ダイクの生涯をわかりやすくご紹介します。

アンソニー・ヴァン・ダイクの誕生とアントウェルペン時代

ベルギー・街並み【アントワープ】ベルギー・街並み【アントワープ】

アンソニー・ヴァン・ダイク(アントーン・ファン・ダイク)は、1599年(慶長4年)3月22日にフランドル・アントウェルペン(アントワープ)で誕生しました。

わたなびはじめ
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ちなみに、アンソニー・ヴァン・ダイクの表記は英名をカタカナ化したものです。

父親のフランス・ヴァン・ダイクは裕福な商人でした。

アンソニー・ヴァン・ダイクは幼くして絵画の才覚を表し、1609年(慶長14年)にはヘンドリック・ファン・バーレンの弟子となり絵画を学び始めています。

1615年(慶長20年・元和元年)頃には画家として独り立ちしていましたが、アントウェルペンの聖ルカ組合(画家のギルド)で親方として登録されたのは1618年(元和4年)2月のことでした。

親方として認められる以前、15歳にして傑出した「自画像」(1613年~1614年)を描いていました。

ヴァン・ダイクは1618年(元和4年)~1620年(元和6年)までの期間、フランドル・バロック期の巨匠ピーテル・パウル・ルーベンスの筆頭助手として働いていました。

アンソニー・ヴァン・ダイク、イングランド旅行

イギリス・ロンドンイギリス・ロンドン

1620年(元和6年)、ルーベンスとの仕事が終わったあとと思われますが、ヴァン・ダイクはイングランドを旅行します。

滞在期間は約4ヶ月間とそれほど長くはありませんでしたが、イングランド国王ジェームス1世やバッキンガム公のために絵を描きました。

その際ヴァン・ダイクは、アランデル伯爵トマス・ハワードが所有していたティツィアーノの作品を目にしたようです。

イタリア・ルネサンス期の巨匠の作品との出会いは、ヴァン・ダイクにとって大きな刺激となったことでしょう。

その後ヴァン・ダイクは、ルーベンスから学んだ絵画技法とティツィアーノの色彩と表現力を融合させたような独自の画風を確立させていくことになります。

アンソニー・ヴァン・ダイク、アントウェルペンへの帰郷とイタリア時代

イタリア・ジェノヴァイタリア・ジェノヴァ

イングランドから故郷アントウェルペンへと戻ったヴァン・ダイクでしたが、1621年(元和7年)秋にはイタリアへと旅立ちます。
イタリアには1627年(寛永4年)まで滞在しています。

イタリアでのヴァン・ダイクはジェノヴァを拠点として、シチリアも含むイタリア国内を旅しました。

ジェノヴァでは、貴族から肖像画家として高い評価を得ただけでなく、宗教画の注文も受けていました。

アンソニー・ヴァン・ダイク、アントウェルペンへ

アントウェルペン(アントワープ)市庁舎アントウェルペン(アントワープ)市庁舎

1627年(寛永4年)、アントウェルペンへと戻ったヴァン・ダイクはおもに肖像画を描いていました。

翌1628年(寛永5年)、ヴァン・ダイクはイエズス会修道院の未婚男子兄弟会に入会します。
そして同会のために、1629年(寛永6年)~1630年(寛永7年)にかけて次の作品を描いています。

  • 幼児と聖ロザリア、聖ペテロ及びパウロを伴える聖母【ウィーン美術史美術館所蔵】
  • マリアと福者ヘルマン・ヨーゼフの神秘の婚約【ウィーン美術史美術館所蔵】

この時期のヴァン・ダイクは貴族階級の人々や宮廷人からの注文を受け、人気を博していました。

銅版画を始めたのもこの頃のことでした。

1630年(寛永7年)、ヴァン・ダイクはハプスブルク家の大公妃イサベル・クララ・エウヘニアより宮廷画家の位を授けられます。
しかしヴァン・ダイクは、ブリュッセルへは赴かず、アントウェルペンに留まり続けました。

アンソニー・ヴァン・ダイク、イギリス・ロンドンへ

イギリス・ロンドン【ブラックフライアーズ橋】イギリス・ロンドン【ブラックフライアーズ橋】

1632年(寛永9年)、ヴァン・ダイクはイングランド王チャールズ1世と王妃の庇護ものと、宮廷画家としてロンドンに移り住みます。

さらには騎士に叙せられ、貴族の一員となります。
宮廷画家としての高い俸給だけでなく、ヴァン・ダイクの作品は高値で買い取られていました。

ロンドンのブラックフライアーズに工房を兼ねた邸宅を与えられたヴァン・ダイクのもとには、国王夫妻もたびたび足を運んだようです。

ヴァン・ダイクは1634年~1635年にかけて一時ネーデルランドへと戻りますが、その後ロンドンへと戻り、イギリス王家や貴族たちの依頼を受け肖像画家として活躍します。

ヴァン・ダイクはイグランドで画家として大成功したのでした。

ヴァン・ダイクの最期と代表作

アンソニー・ヴァン・ダイクの像アンソニー・ヴァン・ダイクの像

1641年(寛永18年)の夏、ヴァン・ダイクはイギリスを離れパリに滞在中、絵を描くことができないほど病状が悪化してしまいます。

ロンドンへと戻ったアンソニー・ヴァン・ダイクでしたが、1641年(寛永18年)12月9日に亡くなりました。

わたなびはじめ
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ヴァン・ダイクはフランドルだけでなく、イングランドでも高い評価を得た画家だったんだね。

ルーベンスと並び、フランドル・バロック期の偉大な画家ヴァン・ダイク。
その作品名をいくつかご紹介します。

マリー=ルイーズ・デ・タシスの肖像 【1630年】
リヒテンシュタイン絵画館所蔵。
馬上のチャールズ1世とサン・アントワープの領主の肖像 【1633年】
ロイヤル・コレクション所蔵。
英国王チャールズ1世の肖像 【1635年頃】
ルーブル美術館所蔵。
リッチモンド公ジェームス・ステュアートの肖像 【1637年頃】
メトロポリタン美術館所蔵。
チャールズ1世騎馬像 【1637年~1638年頃】
ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵。

まとめ

アンソニー・ヴァン・ダイクとは
  1. フランドル出身で、バロック期を代表する画家のひとり。
  2. 肖像画で有名。
  3. イングランドで騎士に叙せられた。

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