イタリア・バロック期に活躍した画家ベルナルド・ベッロット。
ヴェネツィア派の画家ベルナルド・ベッロットについて、簡潔にご紹介します。
ベルナルド・ベッロット、誕生~修業時代

ベルナルド・ベッロットはイタリア・ベネツィアで1720年(享保5年)1月30日に生まれました。
ヴェネツィアの風景画家ジョヴァンニ・アントーニオ・カナール(カナレット)の甥であったベルナルドは、叔父から絵を学びました。叔父のカナレットは、10代だったベルナルドの画才を認め絵を教えます。
1742年(寛保2年)、ベルナルド・ベッロットは叔父を伴うことなくローマへと向かいます。1744年(寛保4年・延享元年)には、イタリア北部の旅へ出ます。
この2度にわたる旅行の目的は、景観画(ヴェドゥータまたはヴェドゥテとも呼ぶ)を描くためでした。
1745年(延享2年)にはトリノで、サルデーニャ王のカルロ・エマヌエーレ3世の下で絵画制作をしています。
ベルナルド・ベッロット、ドレスデンへ

1747年(延享4年)に、ベルナルド・ベッロットは家族とともにベネツィアを離れます。
ポーランドのアウグスト王にドレスデンへと招かれたためでした。ベルナルド・ベッロットは、ドレスデンに1747年~1759年(宝暦9年)の約12年間住むことになります。
ポーランドにおいて「カナレット」という呼称は、(叔父ではなく)ベルナルド・ベッロットを指す場合があります。活躍する場所が違ったから、それでも混乱しなかったということでしょうか。
ベルナルド・ベッロット、画家として名を馳せる

ヨーロッパで知名度の高くなったベルナルド・ベッロット。ハプスブルク家のマリア・テレジアによりウィーンにも招かれました。その際にはウィーンの街並みを描いています。
ミュンヘン、ドレスデン(2度目)を経て、最後はワルシャワ(1767年~)に定住することに。ポーランド(ワルシャワ)では、スタニスラフ・アウグスト・ポニアトゥスキー王の宮廷画家として過ごします。
ベルナルド・ベッロットの最期となびさんぽで紹介している作品

ベルナルド・ベッロットは、1780年(安永9年)10月17日にポーランドの ワルシャワで亡くなりました。
ベルナルド・ベッロットの作品は、戦争で破壊されたワルシャワの復興時に資料としても用いられたようです。彼の作風でもある精緻さと数多くの作品が役に立ったのです。
せい
ドレスデンのアルトマルクト広場の眺め | 制作年:1750年(寛延3年)~1752年(宝暦2年)。 【プーシキン美術館所蔵】 |
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まとめ
- イタリア・ベネツィア出身の画家。
- 叔父は風景画家のジョヴァンニ・アントーニオ・カナール。
- ハプスブルク家のマリア・テレジアからウィーンに招かれた。