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まるで緑の宝石!クロード・モネ作「睡蓮の池と日本の橋」|ブリヂストン美術館「モネ展」より

モネ展_クロード・モネ作「睡蓮の池と日本の橋」【アイキャッチ】
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まるで緑の宝石のような絵画。

それがクロード・モネの描いた「睡蓮の池と日本の橋」です。

1994年(平成6年)にブリヂストン美術館(現:アーティゾン美術館)で開催された「モネ展」の図録をもとに、作品から受けた印象などについて思い巡らせてみようと思います。

クロード・モネ作「睡蓮の池と日本の橋」

モネ展_クロード・モネ作「睡蓮の池と日本の橋」
  • 制作年:1899年
  • サイズ:90.0 × 90.0cm
  • 油彩、キャンヴァス

なんて美しい作品だろう!

これが私の「睡蓮の池と日本の橋」に対する感想です。モネ展の図録で感動するくらいですから、1994年(平成6年)にブリヂストン美術館で鑑賞したときも驚いたはずです。

なぜ「はず」なのだろう?と自問していますが、正直なところ記憶が薄らいでいます。「セーヌ河の朝、雨」での衝撃を覚えていながら、「睡蓮の池と日本の橋」の記憶がおぼろげというのも不可思議なことです。図録の表紙にも掲載されているにも関わらずです…

記憶って、何だかおもしろいですよね。「絶対、忘れない!」などと心に決めた出来事ですらあやふやになってしまうわけですから、25年以上昔に鑑賞した絵画を忘れても不思議ではありません。

私の不安定な記憶の話はここまでにしておきましょう。

モネは1883年(明治16年)にジヴェルニーに引っ越しています。ジヴェルニーはパリの北西約80kmの距離にあります。

その後モネはジヴェルニーで土地および家を購入しています。1893年(明治26年)には隣接する土地を購入し、庭を造園することに。その庭には日本風の太鼓橋を架け、睡蓮を植えました。

まさに「睡蓮の池と日本の橋」の風景を形づくっていったのです。

しかし、モネがその庭を描くには数年の月日が必要だったようです。実際、「睡蓮の池と日本の橋」が完成したのは1899年(明治32年)のことでした。

ブリヂストン美術館で開催されたモネ展には、「睡蓮の池と日本の橋」という作品が2点展示されていました。

今回ご紹介している「睡蓮の池と日本の橋」は1899年(明治32年)の作品で、もう一方は翌1900年(明治33年)の作品です。両作品ともに似たような構図ですが、1900年の作品の方は、緑色に赤が映える作品に仕上がっています。

この絵画を制作していた時期のモネはロンドンにも足を運んでいたので、その合間を縫って描いていたと推測されます。ちなみに「睡蓮の池と日本の橋」は夏の風景です。

画面を覆いつくす緑色の中に白や薄いピンクを帯びた睡蓮の花が咲き誇っていますね。背景の木々も左右で種類の違いがわかります。

私は植物に対する知識をほとんど持ち合わせていません。それでも、左側の枝垂(しだ)れ具合が、より和の雰囲気を醸し出すのに貢献している感じがします。

大げさな表現になりますが「全てが緑色」の作品ですよね。にもかかわらず、橋も植物も描き分けられているところが実に素晴らしい!

もう少し「緑」の話を続けさせてください。

私がこの記事のタイトルに「緑の宝石」という文言を入れた理由は、「睡蓮の池と日本の橋」から聖書の次の言葉を連想したからです。山上の垂訓と呼ばれる説教の中で、イエス・キリストが語られた言葉です。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。また、なぜ、着物のことで思いわずらうのか。野の花がどうして育っているか、考えて見るがよい。働きもせず、紡ぎもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。

出典:『新約聖書 マタイによる福音書 第6章27~29節』
9ページ 日本聖書協会

ソロモンといえば旧約聖書の時代、ダビデ王の後に古代イスラエル王国を統治した王様です。莫大な富(財宝)と名声を得た人物でした。

イエス・キリストは、ソロモンの栄華と野の花を対比させて神様の人々に対する愛と関心を教えたのでした。

私は「睡蓮の池と日本の橋」を図録で再確認しながら、「モネは草花を宝石(財宝)のように描いた」と感じました。まさに、宝石(財宝)に勝るとも劣らない美しさだと。このような作品を描いたモネに、驚きを隠し得ません。

クロード・モネとは

クロード・モネとは

クロード・モネについての紹介は『すぐわかる!クロード・モネとは|印象派を代表する画家の生涯』をご参照ください。

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わたなびはじめの感想:クロード・モネ作「睡蓮の池と日本の橋」について

フランス・ジヴェルニー【モネの庭・睡蓮の池】フランス・ジヴェルニー【モネの庭・睡蓮の池】

モネが「睡蓮の池と日本の橋」で描いた「日本の橋」とは、上図の中央付近にある緑色の橋のことでしょう。

画力のない私がモネと同じ場所に立って描いたとしても、「睡蓮の池と日本の橋」のような作品は生み出せません。モネはどのように植物や橋、光を認識し、どうやって表現するに至ったのか不思議でなりません。

この記事では我ながら緑色にこだわり続けていると認識しています。緑を主体とした絵具の濃淡や配色、筆触等の組み合わせによって作り上げられた「睡蓮の池と日本の橋」の存在感には物凄さを感じます。

もう一度、実物を観賞したい気持ちでいっぱいです。

最後に、いつものわたなび流の感想で終わりたいと思います。
クロード・モネ作「睡蓮の池と日本の橋」は、「自宅で鑑賞したい(欲しい)と思える作品」です。

繰り返しになりますが、もう一度日本に来てくれることを願っています。

まとめ

モネ作「睡蓮の池と日本の橋」
  1. 「睡蓮の池と日本の橋」は、モネがジヴェルニーの自宅に造った庭の風景。
  2. 描かれたのは1899年の夏。
  3. 同じタイトルの作品が他にも存在する。

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