19~20世紀のアメリカで活躍した画家コリン・キャンベル・クーパーとは、どのような生涯を送ったのでしょうか?
わかりやすくご紹介します。
コリン・キャンベル・クーパーとは

コリン・キャンベル・クーパーは、1856年(安政3年)3月8日にアメリカ合衆国・ペンシルベニア州フィラデルフィアに生まれました。
父親が医者であり法律家でもあったため、裕福な家庭で育っています。コリン・キャンベル・クーパーが画家を志したことは両親の想いにかなっていました。母親がアマチュアの画家であったことも影響していると思われます。
両親の支援もあってコリン・キャンベル・クーパーは、ペンシルベニア美術アカデミーで絵を学んでいます。
1886年(明治19年)から1890年(明治23年)にかけてヨーロッパを旅しています。訪れたのはオランやベルギー、イギリス、フランスです。パリについては旅行と言うよりも、私立美術学校アカデミー・ジュリアンで学ぶための滞在先でした。
コリン・キャンベル・クーパーが巡ったヨーロッパの国々は、世界で名を知られる画家たちの母国でもあります。その一例をご紹介します。
- オランダ:レンブラント、フェルメール、ゴッホ
- ベルギー:ブリューゲル、ルーベンス
- イギリス:ターナー、ヴレイク
- フランス:ミレー、モネ、ルノワール、ロートレック、ドガ
ゴッホは亡くなる1890年(明治23年)の数年前にパリで過ごしていたので、コリン・キャンベル・クーパーと出会う機会があったかもしれませんね。(想像ですが…)
このヨーロッパ滞在期間の作品は、1830年代にフランスで誕生した画家の一派であるバルビゾン派の画風で描かれています。すでに亡くなってはいましたが、ミレーの作品も目にしていたのかもしれませんね。
アメリカに帰国後の数年間は、科学産業大学(のちのドレクセル大学)で教壇に立っていました。
コリン・キャンベル・クーパーは結婚の翌年1898年(明治31年)に、夫婦でオランダに暮らしています。この時期からコリン・キャンベル・クーパーの作品に印象派の影響が見られるようになりました。
1904年(明治37年)にはニューヨークに移っています。コリン・キャンベル・クーパーは、摩天楼をはじめとする近代的建造物などの風景を画題として描き、高い評価を得ました。
1908年(明治41年)には、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの準会員に、4年後には正会員になっています。
その後奥さんを亡くしますが、数年後に再婚。
コリン・キャンベル・クーパーは、1937年(昭和12年)11月6日にサンタバーバラで亡くなりました。
なびさんぽで紹介しているコリン・キャンベル・クーパー作品

【なびさんぽ】でご紹介しているコリン・キャンベル・クーパーの作品は次の通りです。
旧グランド・セントラル駅 | 制作年:1906年。 【モントクレア美術館所蔵】 |
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まとめ
- コリン・キャンベル・クーパーは裕福な家庭で育った。
- 母親もアマチュアの画家だった。
- ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの正会員にもなった人物。