1997年(平成9年)に東京都庭園美術館にて開催された 「プーシキン美術館所蔵 イタリア・バロック絵画展」。
今回はイタリア・バロック絵画展の図録から、ガスパレ・ディツィアーニの作品「モーセの発見」をご紹介します。
モーセの名前については、クリスチャンであるかどうかに関わらず聞いたことのある方が多いのではないでしょうか?
「モーセの発見」は、神の預言者としてイスラエルの民を導いたモーセの誕生後間もない場面の描いた作品です。
ガスパレ・ディツィアーニ作 「モーセの発見」とは
■ガスパレ・ディツィアーニ作 「モーセの発見」
- 制作年:18世紀
- サイズ:30.8 × 38.8cm
- ペン、黒のインクとチョーク、灰色の淡彩
この作品は、ガスパレ・ディツィアーニが油彩画を描くに先立って描かれた習作であると考えられています。しかし残念ながら、油彩画の存在は確認されていません。
旧約聖書に記されているモーセの誕生やその時代背景を理解していなければ、モーセがどこに描かれているのかわかりにくいかもしれません。少なくとも、パッと見た限り画面におけるモーセの占めるスペースは小さいといえます。
ガスパレ・ディツィアーニは「何を」「どのように」表現したかったのでしょうか?
まずは、モーセについて確認していきましょう。
モーセとは?モーセの誕生と時代背景について
モーセは、エジプトで奴隷となっていたイスラエルの民を導き出すように神により召された(選ばれ、任ぜられた)預言者です。
モーセを象徴する事柄といえば、次のようなことを連想されるのではないでしょうか?
- イスラエルの民を解放するためにパロをはじめとするエジプトに災いを宣言した。
- 神の山ホレブにおいて、燃えるしばを通して神の使いと会見した。
- 紅海の水を分けてイスラエルの民が乾いた地を通れるようにした。
- モーセの十戒。
- 神の命により、過越(すぎこし)の祭などのイスラエルの民が守るべき律法を定めた。
- 青銅の蛇を掲げた。
そもそもなぜ、イスラエルの人々がエジプトで奴隷の状態になったのかというと、旧約聖書の創世記に遡ります。イスラエルの民の先祖には、アブラハム、イサク、ヤコブがいました。
アブラハムは、神により次のような約束を受けていました。この約束を受けた時点では「アブラム」という名前でした。
アブラムは、ひれ伏した。神はまた彼に言われた、
「わたしはあなたと契約を結ぶ。
あなたは多くの国民の父となるであろう。
あなたの名は、もはやアブラムとは言われず、
あなたの名はアブラハムと呼ばれるであろう。
わたしはあなたを多くの国民の父とするからである。
わたしはあなたに多くの子孫を得させ、国々の民をあなたから起こそう。また、王たちもあなたから出るであろう。
わたしはあなた及び後の代々の子孫と契約を立てて、永遠の契約とし、あなたと後の子孫との神となるであろう。出典:旧約聖書 創世記17章3~7節
18ページ 日本聖書協会
その後、アブラハムの孫であるヤコブ(のちにイスラエルと改名)の時代に飢饉が起こり、カナンの地からエジプトに行くことになります。
当時、エジプトではヤコブの息子の一人であるヨセフがパロに次ぐ地位に就いていました。エジプトに行ったヤコブとその子供たちは、飢饉から守られたのです。
モーセが誕生するのは、エジプトを飢饉から救ったヨセフが亡くなった後の時代です。その頃にはヤコブ(イスラエル)の民の数は増え広がっていました。
ヨセフのことを知らない新しい王の時代、彼らはイスラエルの民に脅威を感じていました。そこで、反乱防止も兼ねて重労働を強いたのです。
イスラエルの民はヘブル人とも呼ばれていました。
エジプトの王は、ヘブル人の出産に立ち会う助産婦に「男の子が生まれたら殺すように」と命じました。この助産婦たちはイスラエルの神を敬っていたため、エジプトの王の命令に従いませんでした。旧約聖書の出エジプト記には、神が助産婦に恵みを施したと書かれています。
このような経緯から、パロはエジプトの全ての民に「ヘブル人に男子が誕生したらナイル川に投げろ!」と命じます。
モーセはこのような状況下で誕生し、3ヶ月の間隠されていました。とっても麗しい赤ちゃんだったようです。
その続きの場面を旧約聖書からご紹介します。
しかし、もう隠しきれなくなったので、パピルスで編んだかごを取り、それにアスファルトと樹脂とを塗って、子をその中に入れ、これをナイル川の岸の葦の中においた。
その姉は、彼がどうされるかを知ろうと、遠く離れて立っていた。
ときにパロの娘が身を洗おうと、川に降りてきた。
侍女たちは川べを歩いていたが、彼女は、葦の中にかごのあるのを見て、つかえめをやり、それを取ってこさせ、あけて見ると子供がいた。
見よ、幼な子は泣いていた。
彼女はかわいそうに思って言った、「これはヘブルびとの子供です」。
そのとき幼な子の姉はパロの娘に言った、「わたしが行ってヘブルの女のうちから、あなたのために、この子に乳を飲ませるうばを呼んでまいりましょうか」。
パロの娘が「行ってきてください」と言うと、少女は行ってその子の母を呼んできた。
パロの娘は彼女に言った、「この子を連れて行って、私に代わり、乳を飲ませてください。わたしはその報酬をさしあげます。」
女はその子を引き取って、これに乳を与えた。
その子が成長したので、彼女はこれをパロの娘のところに連れて行った。そして彼はその子となった。
彼女はその名をモーセと名づけて言った、「水の中からわたしが引き出したからです」。出典:旧約聖書 出エジプト記2章3~10節
75ページ 日本聖書協会(適宜改行)
ガスパレ・ディツィアーニは、この場面を「モーセの発見」という作品に描きました。
ガスパレ・ディツィアーニに「モーセの発見」で何を描きたかったのか?
「モーセの発見」には、多くの女性が描かれています。
その中には、パロの娘とその侍女たち、もしかするとモーセの姉も描かれているのかもしれません。パロの娘は、自分の父であるパロが発した命令を当然のことながら知っていました。
そのような状況で、ナイル川のほとりに置かれた可愛らしい男の赤ちゃんを見つけたのですから、非常に驚いたことでしょう。
「モーセの発見」は、侍女たちが慌てふためいているようでもあります。それに対して、赤ん坊のモーセを抱いている女性は、「殺すに忍びない、どうしましょう?」といった切実な表情をしているように思えます。
その視線の先に立っている作品で一番背の高い(頭の位置が高い)女性が、パロの娘でしょう。もしそうだとするならば、その表情からは父(パロ)の意に背く行為と知りつつ、赤ん坊を養子にする決意をした覚悟と威厳のようなものを感じます。
侍女たちは、さぞかし驚いたことでしょう。
ガスパレ・ディツィアーニは、後に偉大な預言者となるモーセが奇跡的に命を取り留めた瞬間と、それに立ち会った人々の心の機微を描きたかったのではないでしょうか?
いずれにしてもガスパレ・ディツィアーニは、旧約聖書 出エジプト記の短い文章から、その情景を想像力豊かに描きだしたのだと思います。
ガスパレ・ディツィアーニは、大作の油彩やフレスコ画を描くときには素描の作成を行なうことで構想を練り上げたみたい。
しかも、その素描自体がひとつの作品としてのクオリティーを持っているのですから驚きだよ。
ガスパレ・ディツィアーニについて
18世紀に活躍したイタリアの画家であるガスパレ・ディツィアーニについては、『すぐわかる!ガスパレ・ディツィアーニとは』をご参照ください。
わたなびはじめの感想:ディツィアーニ「モーセの発見」について
「モーセの発見」と題した作品でありながら、モーセの存在はそれほどフォーカスされてはいないように感じます。
モーセを取りまく人々の様子を描くことで、より劇的な場面とする狙いあったのかもしれません。
作品には人々の表情こそ詳細に描かれてはいませんが、ただならぬ出来事に遭遇した人々の身体の動きから感情を推察することができます。
この作品にはカラフルな色彩は施されていませんが、作品の中に動きを感じるすばらしい作品です。
いつものごとく、わたなび流の感想を述べさせていただきます。
この「モーセの発見」は、「不釣り合いだと認識しているけれど、自宅に飾りたいと思えるすばらしい作品」です。
あなたは、どのように感じられましたか?
まとめ
- 旧約聖書に登場するモーセを題材とした作品。
- 落ち着いた色調の中に、人物の心の動きが表現されている。