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すぐわかる!ジョルジュ・スーラとは

すぐわかる!ジョルジュ・スーラとは
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ジョルジュ・スーラは19世紀に生きた新印象派の画家です。

スーラといえば「点描」を連想される方が多いかもしれませんね。

線を用いずに、非常に細かい筆のタッチで表現する「点描」の技法は、印象派を代表する画家モネらが開発した「可能な限り絵の具を混ぜ合わせない」筆触分割という技法や光学的な理論によって成り立っています。

それでは、スーラの生涯を眺めてみましょう。

ジョルジュ・スーラとは

パリ(フランス)シャンゼリゼ通りパリ(フランス)シャンゼリゼ通り

ジョルジュ・スーラは、1859年(安政6年)12月2日、フランス・パリの比較的裕福な家庭に生まれました。

1878年(明治11年)には、国立美術学校のエコール・デ・ボザールに入学。絵画の巨匠らの作品や色彩理論などの研究を行なっています。しかし、兵役に就くため1年間ほど休学せざるを得ませんでした。

スーラは1879年(明治12年)、第4回印象派展に足を運んでいます。

1883年(明治16年)には、フランスの王立絵画彫刻アカデミーが開催するサロン・ド・パリで入選します。

それを機にスーラの代表作のひとつとなる「アニエールの水浴」の制作に着手します。

「アニエールの水浴」の時点では点描の技法が確立されていなかったのでしょう。それまでの伝統的なスタイルと点描に類似する技法が混在している作品に仕上がっています。

「アニエールの水浴」の制作期間は1年間ほどで、1884年(明治17年)に完成しますが、残念ながらサロンでの入選は叶いませんでした。

スーラは同1884年(明治17年)に、自身最大の代表作「グランド・ジャット島の日曜日の午後」の制作に取り掛かります。

「グランド・ジャット島の日曜日の午後」は、1886年(明治19年)に開催された第8回 印象派展に出展されます。(印象派展は全8回開催されたため、1886年が印象派にとって最後の展示会となりました。)

ジョルジュ・スーラ紹介の冒頭で「新印象派の画家」と書きましたが、この「新印象派」という呼称はスーラの「グランド・ジャット島の日曜日の午後」に関係しています。第8回 印象派展に出展された同作品を観た批評家が、雑誌の記事で使用した言葉でした。

スーラの風景画の描き方は、屋外で素描や油彩による習作を描き、仕上げはアトリエで行なうというスタイルでした。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
目に映った景色は、スーラの目を通って頭の中で理想の風景として構築されたんだろうな。
観たままだけでなく、スーラの想いも描き込まれている感じがする。

スーラは油彩画だけでも約70点ほど作品を描いています。

ジョルジュ・スーラの死因はハッキリとしていませんが、1891年(明治24年)3月29日パリにて亡くなりました。31歳という若さでした。

なびさんぽで紹介しているジョルジュ・スーラ作品

フランス・パリフランス・パリ

【なびさんぽ】でご紹介しているジョルジュ・スーラの作品は次の通りです。

オンフルール港の入口 制作年:1886年(明治19年)。
【バーンズ財団美術館所蔵】

まとめ

ジョルジュ・スーラとは
  1. 19世紀のフランスに生きた新印象派の画家。
  2. 点描で知られる。
  3. 屋外を描いた作品も、仕上げはアトリエで行うのがスーラ流。

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