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すぐわかる!(ピアニスト)ヴィルヘルム・ケンプとは

すぐわかる!(ピアニスト)ヴィルヘルム・ケンプとは
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20世紀に活躍したドイツのピアニスト、ヴィルヘルム・ケンプ。ケンプはピアニストとしてだけでなく作曲家や著作家、教育者としても活動しました。

ケンプはどのような生涯を送ったのでしょうか?

わかりやすくご紹介します。

ヴィルヘルム・ケンプとは

ドイツ【ブランデンブルク門】ドイツ【ブランデンブルク門】

ケンプはブランデンブルク州ユッターボークにて、1895年(明治28年)11月25日に誕生しました。

父親がニコライ教会のオルガニストに就いていたこともあり、ケンプは幼い頃からピアノやオルガンを学び始めます。

ケンプの音楽的才能には卓越したものがあったようです。変奏曲やフーガを即興で演奏することもあったとか。

その後、ベルリン音楽大学に進んだケンプは、次の人たちに師事します。

  • 作曲:ロベルト・カーン
  • ピアノ:カール・ハインリヒ・バルト

ピアノの指導に当たったカール・ハインリヒ・バルトは、ハンス・フォン・ビューローの教え子でした。

ハンス・フォン・ビューローは、指揮者でありピアニストでもあった人物です。ドイツの有名作曲家を「ドイツ3B(バッハ、ベートーヴェン、ブラームス)」と名付けたのはビューローでした。

1917年(大正6年)、ケンプはピアノ組曲を作曲し、メンデルスゾーン賞を受賞しています。その翌年には、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団と協演します。曲目は「ベートーヴェン ピアノ協奏曲第4番」でした。

ケンプがベートーヴェンを最初に録音したのは1920年代のことでした。

ケンプが教育者と呼ばれるのは、1924年(大正13年)~1929年(昭和4年)の期間にシュトゥットガルト音楽大学の学長を務めたことが関係しています。(後年、演奏会から退いたあとにも音楽指導を続けていました。)

1932年(昭和7年)、ケンプはベルリンのプロイセン芸術協会の正会員となり、ドイツにおけるクラシック音楽界の中心的人物のひとりとなります。

1960年代、70歳を目前にしたケンプはハノーファーにあるベートーヴェン・ザールでベートーヴェンのピアノ・ソナタ全曲録音に取り組みます。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
2020年4月にご紹介した「ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第8番≪悲愴≫」も、1965年(昭和40年)1月にハノーファーで録音されたんだよ。

パーキンソン病を患っていたヴィルヘルム・ケンプは、1991年(平成3年)5月23日、イタリア・ポジターノで亡くなりました。

ピアニストとしてのヴィルヘルム・ケンプは、超絶技巧を売りにする演奏家ではなかったようです。

とはいえ、神童と目されるほどの才能を持ち合わせていた人物ですから、音楽に対する理解や姿勢がケンプ独自の演奏スタイルへと繋がったのでしょう。

【CD】「ベートーヴェン・4大ピアノ・ソナタ集 ヴィルヘルム・ケンプ(ピアノ)【UCCG-3344】」のライナーノーツには次のような記述がありました。

音楽を楽しむ、というのは言い古された言葉だ。しかしヴィルヘルム・ケンプの場合、もっとも堂々と見事にそれが言える。彼はピアノやオルガンの演奏の技法を完全に身につけ、それによって音楽の神髄に迫ることができた。

出典:『「ヴィルヘルム・ケンプ|ベートーヴェン ピアノ・ソナタ≪悲愴≫≪月光≫≪ワルトシュタイン≫≪熱情≫」【UCCG-3344】ライナーノーツ』
カール・シューマン著 M&Mインターナショナル訳 1ページ

なびさんぽで紹介しているヴィルヘルム・ケンプの演奏作品

イタリア・ポジターノイタリア・ポジターノ

【なびさんぽ】でご紹介しているヴィルヘルム・ケンプのピアノ演奏作品は次の通りです。

ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第8番「悲愴」
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第14番「月光」
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第21番「ワルトシュタイン」
ベートーヴェン ピアノ・ソナタ第23番「熱情」

まとめ

ヴィルヘルム・ケンプとは
  1. シュトゥットガルト音楽大学の学長経験あり。
  2. ドイツにおけるクラシック音楽界の中心的人物のひとりとなる。
  3. 超絶技巧を売りにするピアニストではなかった。
ヴィルヘルム・ケンプのピアノ演奏による、ベートーヴェン作曲のピアノソナタ第8番「悲愴」・第14番「月光」・第21番「ワルトシュタイン」・第23番「熱情」です。

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