国立西洋美術館でバーンズ・コレクション展が開催されたのは1994年(平成6年)のこと。
その数年前、高校の美術の授業でロートレックの「洗濯女」をテーマにしたプレゼンをした経験があったことから、実際に彼の作品を観ることができたときには不思議な満足感を覚えたのを記憶しています。
今回は、アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック作「モンルージュにて-赤毛のローザ」を基に、さまざまな考察をしてみたいと思います。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック作「モンルージュにて-赤毛のローザ」とは

■アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレック作「モンルージュにて-赤毛のローザ」
- 制作年:1886~1887年
- サイズ:72.3 × 49.0cm
- 油彩、カンヴァス
上述したように、私には高校の美術の授業でロートレックの「洗濯女」についてのプレゼンを行なった経験があります。
美術の先生がさまざまな画家の作品をセレクトしていて、生徒に選ばせ、その作品について発表させるという授業だったと記憶しています。
内気な私の性格上、率先して自分の関心の高い作品を選ぶようなことはできませんでした。結果的にロートレックの「洗濯女」が手元に残りました。
しかし、それは幸いだったと思っています。なぜなら、まだ知らなかった画家とその作品を知る機会になったのですから。
高校卒業後、数年を経てバーンズ・コレクション展でロートレックの作品と対面しました。それが今回ご紹介している「モンルージュにて-赤毛のローザ」です。
どこかで観たことがある気がする…
「モンルージュにて-赤毛のローザ」に描かれている女性は「洗濯女」と似ていたのです。
この人物が「モンルージュにて-赤毛のローザ」に描かれている女性だと考えられているんだよ。
カルメン・ゴーダンはロートレックのモデルで、「洗濯女」でもモデルを担当したんだ。
やはり同一人物でした。
小さな出来事ではありましたが、私にとってはそれなりに価値のあることでした。美術の授業を通じて学んだことがキッカケとなり、上京後、美術に対する好奇心の幅がさらに広がったのです。
「モンルージュにて-赤毛のローザ」の作品に話題を移しましょう。
この作品は全体的に茶色がかった表現がされています。
おそらくは、白色のブラウスに黒っぽいスカートを着用していると思いますが、この衣装、「洗濯女」と同じなのではないかと思っています。
どちらも彼女の横顔を描いており、目は髪で隠れています。しかし、スーッとした鼻や尖り気味に描かれたアゴから、美しい女性だったのではないかと想像できます。
どちらかというと、この女性からは友人と談笑するような雰囲気は感じられず、「強くあろう!」と芯を持って生きている印象を受けます。
ロートレックの筆運びの大胆さが、彼女の内面的な個性の表現性を高めています。
「モンルージュにて-赤毛のローザ」の「モンルージュにて」とは、シャンソン歌手アリスティッド・ブリュアンの歌のタイトルのようです。
この作品は、ロートレックが頻繁に通った店のひとつ「ル・ミルリトン」に飾られていた肖像画のひとつです。
アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックとは

油彩画だけでなくモダンなポスターでも有名なフランスの画家アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックの生涯については、『すぐわかる!アンリ・ド・トゥールーズ=ロートレックとは』をご参照ください

わたなびはじめの感想:ロートレック作「モンルージュにて-赤毛のローザ」について

「モンルージュにて-赤毛のローザ」に描かれている女性からは、優しさというよりも力強さを感じます。
孤独かどうかはわかりませんが、どことなく寂しさを漂わせた雰囲気には切なさを覚えずにはいられません。
目が隠されていることで、どのような顔の女性なのかという想像力を刺激されませんか?
その意味では「サモトラケのニケ」のようです。表現されていない(見えない、現存しない)部分があることにより、観る側にイメージする余地を与え不思議な魅力を演出しているのです。
いつものようにおこがましいことは承知の上で、わたなび流の感想で締めくくろうと思います。
ロートレックの描いた「モンルージュにて-赤毛のローザ」は、「欲しいとは思いますが、自宅ではなく美術館などで鑑賞したい作品」です。
「欲しい」という気持ちは感じるのですが、この作品を自宅で毎日目にしている光景が思い浮かびません。表現を変えると、「自分には似合わない」ということですね。
またいつの日か鑑賞する機会があることを期待しています。
まとめ
- ロートレックはポスターでも有名。
- 「モンルージュにて-赤毛のローザ」は、女性の孤独と強さを感じる作品。
- 「洗濯女」と同じモデルを描いた作品。