19世紀終盤から20世紀初頭にかけて活躍したフランス人の画家アンリ・ルソーとは、どのような生涯を送ったのでしょうか?
わかりやすくご紹介します。
アンリ・ルソーとは

アンリ・ジュリアン・フェリックス・ルソーはフランス西北部ブリュターニュ地方のマイエンヌ県ラヴァルで、1844年(天保15年・弘化元年)5月21日に誕生しました。
ブリュターニュ地方はフランスの北西部に位置する半島です。ブリュターニュとは、前ローマ時代にブリテン島に住んでいた土着民族(ケルト系)である「ブリトン人の地」を意味するラテン語の「ブリッタニア」に由来する名称。
ルソーが専業画家となったのは人生の晩年に近づいた頃からで、それまでは兼業画家としての活動時期がありました。
高校を中退した後、法律事務所で働き、1871年(明治4年)にはパリの入市税関で勤務するようになります。1863年(文久3年)からの5年間は軍役に就いていました。
ルソーがいつ頃から絵を描き始めたのかはよく分かっていないようです。1994年に国立西洋美術館で開催されたバーンズ・コレクション展の図録には、次のような解説がありました。
長い間パリ市の入市税関に勤めたため、やがてドゥアニエ(税関吏)・ルソーと呼ばれるようになるこの画家の初期の画業は必ずしも明らかではないが、すでに1880年代前半には絵を描き始めていたと考えられている。
出典:『バーンズ・コレクション展(1994年)図録』
高橋明也著 126ページ
現在残っているルソーの作品で、最初期と思われる作品は1879年(明治12年)頃のものだそうです。
1885年(明治18年)、サロンに出品するも落選します。
翌年からは、基本無審査のアンデパンダン展(サロン・デ・ザルティスト・アンデパンダン)という設立間もない展覧会に、「カーニバルの夜」など4作品を出品します。ルソーは2度ほど例外はあったものの、毎年のように出品を継続しました。
1893年(明治26年)、ルソーは22年間ほど勤めた入市税関を辞めます。その後は年金で生活するようになります。退職したのは、画業に専念することが目的でした。
ルソーの作品は一部の画家(ピカソやロートレックら)を除いて、彼の存命中にはそれほど高い評価を得らなかったとも言われています。
しかし、必ずしもそうであったとは言えない気がします。1895年(明治28年)には、世間の反響を呼んだ出来事もあったからです。
1894年(明治27年)のアンデパンダン展には、現在オルセー美術館に収蔵されている「戦争」など4作品を出品します。
翌年、詩人のアルフレッド・ジャリが編集していた雑誌に「戦争」のリトグラフが添付され、話題となりました。
ルソーが絵を描くことに専念するようになったのは50歳くらいからです。今回ご紹介している「熱帯の森を散歩する女」は、税関職員を辞めたあとの作品となります。
年金をどれくらい受け取っていたのかはわかりませんが、絵が高く売れなかったとしても生活には困らなかったのではないでしょうか。
アンリ・ルソーは肺炎のため、1910年(明治43年)9月2日にフランス・パリで亡くなりました。
なびさんぽで紹介しているアンリ・ルソー作品

【なびさんぽ】でご紹介しているアンリ・ルソーの作品は次の通りです。
熱帯の森を散歩する女 | 制作年:1905年(明治38年)。 【バーンズ財団美術館所蔵】 |
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まとめ
- ルソーはパリ市の入市税関に勤めていた。
- ルソーは兼業画家として長く活動。
- 専業画家になったのは晩年近くになってから。