異邦人に福音を宣べ伝えた使徒を描いた、レンブラント・ファン・レイン作「使徒パウロ」。
2004年(平成16年)に東京都美術館で開催された「ウィーン美術史美術館所蔵 栄光のオランダ・フランドル絵画展」で鑑賞できた作品です。
絵画と使徒パウロについて思いを馳せてみました。
当時は、本物を目にする機会はなかったけれどね…
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン作「使徒パウロ」とは

- 制作年:1636年(?)
- サイズ:135.0 × 111.0cm
- 油彩、カンヴァス
レンブラントが描いた「使徒パウロ」とはどのような人物だったのでしょうか?
パウロのもとの名は「サウロ(ヘブライ語名)」と呼ばれていて、彼はイエス・キリストの教会を迫害していました。しかし、イエス・キリストの示現(現れ)を受けたことにより改宗しました。
パウロはイエス・キリストの特別な証人である使徒として召されます。パウロの伝道(教導)の特徴は、ユダヤ人以外の人々(異邦人)にイエス・キリストの福音を宣べ伝えることに多くを費やしたことです。
エルサレムから地中海沿いを巡るギリシア地方への伝道(教導)の旅を3度行ない、囚人としてローマにも赴いています。獄中での生活や、船の難破を含む命の危険にさらされる経験もしてもいます。
それでも、イエス・キリストの使徒として福音を宣べ伝え、聖徒を励まし、ときに勧告を与える手紙を書きました。
新約聖書には、パウロが書いた手紙が14収録されています。パウロが手紙を書いたおおよその年代別にまとめてみますね。
AD50~51年頃 | ●テサロニケへの第一の手紙 ●テサロニケへの第一の手紙 |
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AD55~57年頃 | ●コリント人への第一の手紙 ●コリント人への第二の手紙 ●ガラテヤ人への手紙 ●ローマ人への手紙 |
AD60~62年頃 | ●ピリピ人への手紙 ●コロサイ人への手紙 ●エペソ人への手紙 ●ピレモンへの手紙 ●へブル人への手紙 |
AD64~65年頃 | ●テモテへの第一の手紙 ●テモテへの第二の手紙 ●テトスへの手紙 |
囚人としてローマに連行されたパウロは、AD65年の春頃に処刑されたと考えられています。
「ウィーン美術史美術館所蔵 栄光のオランダ・フランドル絵画展」の図録解説によると、レンブラントの「使徒パウロ」の背景に描かれている「剣」はパウロを象徴するものだそうです。その理由は、パウロが斬首されたと考えられているからです。
また、数多くの手紙を遺したパウロらしく、書簡の執筆中の姿が描かれていることも興味深いところです。
豊かに蓄えられた髭からは、パウロの風格を感じます。体を右に捻るポーズと観る側を少し下から覗くように見つめる視線は、私たちに何かを訴えかけているようにも思えます。
「光と影の画家」と呼ばれたレンブラントらしく、暗い背景の中に浮かび上がるように描かれたパウロと書簡は、観る者の視線を迷いなく釘付けにするチカラを帯びているかのようです。
しかし、この作品がレンブラントが描いたものがどうかについての議論はあるようです。もしかすると、弟子も筆を入れているのかもしれません。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインとは

「光と影の画家」と呼ばれ、オランダ・バロック絵画を代表する画家のひとりレンブラント・ファン・レインの生涯については、『すぐわかる!レンブラント・ファン・レインとは|「光と影の画家」の生涯について』をご参照ください。

わたなびはじめの感想:レンブラント・ファン・レイン「使徒パウロ」について

使徒パウロは、肉体的な弱点を抱えていました。パウロはそのことを、肉体に与えられた一つの「とげ」と表現しています。
おそらく、パウロにとっては苦しみや悩みの原因になっていたのでしょう。新約聖書「コリント人への第二の手紙 第12章」には、その「とげ」を取り除いていただけるように、3度、主に祈りを捧げたとの記述があります。
しかし、主はパウロの願った通りには対応されませんでした。なぜなのでしょうか?
ところが、主が言いわれた、「わたしの恵みはあなたに対して十分である。わたしの力は弱いところに完全にあらわれる」。それだから、キリストの力がわたしに宿るように、むしろ、喜んで自分の弱さを誇ろう。
だから、わたしはキリストのためならば、弱さと、侮辱と、危機と、迫害と、行き詰まりとに甘んじよう。なぜなら、わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。出典:『新約聖書 コリント人への第二の手紙 第12章9~10節』
290~291ページ 日本聖書協会
パウロは自分が「高慢にならないように」と、その理由のひとつを明言しています。それだけではなく、イエス・キリストの恵みはパウロに与えれていました。
謙遜に神に頼る人に対するイエス・キリストの恵みは、私たちの望み通りか否かは別として十分に与えられるのです。
そのことについてパウロは、ある意味逆説的な言葉を使って表現しています。「わたしが弱い時にこそ、わたしは強いからである。」
このパウロの言葉には、神とイエス・キリストに対する強い信頼(信仰)を感じます。
弱さを認められるからこそ神に頼り、その結果、神は何らかの方法で弱さをおぎなってくだるのです。
レンブラントの描いた「パウロ」を思い返しながら、自分の弱さを受け入れつつ神に従い続けたパウロの生き方に励まされる思いがしました。
最後に、いつものわたなび流の感想で終わります。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レイン作「使徒パウロ」は、「自宅で鑑賞したい(欲しい)と思える作品」です。
いつも謙遜であることの大切さを思い出させてくれそうなので。
まとめ
- パウロはかつてはイエス・キリストの教会を迫害していた人物。
- 改宗(改心)後は、使徒として福音を宣べ伝えた。
- 新約聖書にはパウロによる手紙が14収録されている。