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美術検定2級取得の学習【第7弾】原始・古代の美術⑥「ローマの美術」

ローマの美術・コロッセウム
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美術検定2級合格のための学習を通じて学んだことをご紹介するシリーズ。今回は、第7弾「ローマの美術」をお届けします。

これで「原始・古代の美術」が終了となります。

美術検定の公式テキスト「改訂版 西洋・日本美術史の基本」は、1ページ強の紙面しか割かれていません。

「古代ローマの美術」にまつわる作品は、建築物や彫像など私たちがよく知っているものも含まれています。古代ローマの建築家や美術家たちの偉大さを再確認しつつ、学んでいくつもりです。

この記事でご紹介している画像は、私のセレクト・ミスなどにより本物の画像ではない可能性がありますのでご了承ください。
あらかじめご了承ください。

ローマの美術・概要

イタリア・ローマイタリア・ローマ

古代ローマを考えるときに、「ルパン三世 カリオストロの城」を連想してしまいます。物語の終盤、カリオストロ城周囲の湖の水が引いていき遺跡が出現しますよね。確か、古代ローマ人かエトルリア人による古代都市の設定だったと記憶しています。

アニメの思い出から入ってしまい、すいません。

まずは、エトルリアとローマの美術の概要を眺めてみましょう。

エトルリアの美術

エトルリア人は、BC8世紀の終わり頃からイタリア中部に住んでいた人々です。

美術検定公式テキストには、「エトルリアの美術」の説明として「ブルータス」という肖像彫刻が紹介されています。独自の美術を持っていたエトルリア人が、後にギリシア美術の影響を受けて作ったようです。

ローマの美術

ローマといえば、広大な範図を手中にした大帝国をイメージする方も多いことでしょう。(私もその一人です。)

しかしBC6世紀頃のローマは都市国家でした。上述のエトルリア人たちの王を退けて領土拡大に突き進みます。

領土を拡大していくには、戦争を避けては通れません。歴史的にも有名なポエニ戦争(BC264~BC146年)は、カルタゴとの戦いでした。ポエニ戦争は第3次まで続きます。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
以前、ルーカ・フェッラーリの絵画「ソフォニスバ」を紹介たときに、第2次ポエニ戦争について触れたね。

カルタゴとの戦いで勝利したローマ軍は、ギリシアの美術品を大量に持ち帰ります。いわゆる戦利品ですね。

興味深いことに古代ローマの人々は、ギリシア美術に非常に強い影響を受けたことです。そのため、建築や彫刻などにギリシア的要素が盛り込まれました。このような過程を経て、ローマ美術は成立していきました。

この記事では画像でのご紹介はできませんが、美術検定の合格を目指すならば次の作品は要チェックです。

  • ブルータス:BC4~BC3世紀
  • プリマ・ポルタのアウグストゥス:AD14~29年頃
  • ディオニュソスの秘儀:AD50年頃、壁画、ポンペイ

ローマの美術・作品紹介

それでは、画像とともにローマの美術をご紹介しますね。

ローマの美術・コロッセウム

ローマの美術・コロッセウムコロッセウム

コロッセウムは古代ローマの円形闘技場です。AD80年頃に完成したとされています。

驚くのはその規模です。もともとの状態であれば、5万人以上の観客を収容できたとか…

わたなびはじめ
わたなびはじめ
東京ドームの収容人数が55,000人くらいのはずだから、スゴイよね。

コロッセウムには3層のアーチが用いられています。各階層のアーチは、付柱とエンタブラチュア(柱頭の上に水平に構築される部分)に枠取られています。

コロッセウムのエンタブラチュアは、下から順に次のような様式で造られています。(※第一階層が最下部です。)

  • 第一階層:ドーリア(ドーリス)式
  • 第二階層:イオニア式
  • 第三階層:コリント式

この様式については、ギリシア美術で登場しましたね。

ローマの美術・パンテオン

ローマの美術・パンテオン【外観】Waldo MiguezによるPixabayからの画像:パンテオン【外観】

ローマにあるパンテオンは、AD2世紀の初め頃に造られた円形神殿です。

ローマの人々が、巨大な半円形状の円蓋(屋根)を建造する技術を持ち合わせていたことには驚かされます。

ローマの美術・パンテオン【内観】DEZALBによるPixabayからの画像:パンテオン【内観】

巨大な円蓋は、8ヶ所の分厚い壁によって支えられています。

パンテオンの内部は豪華な装飾が施されています。内部全体の画像をご紹介できないのが残念ですが、円蓋の中央には「眼孔」と呼ばれる開口部があります。さらに、床には色大理石の羽目板が用いられています。

ローマの美術・マルクス・アウレリウス騎馬像

ローマの美術・マルクス・アウレリウス騎馬像Serghei ToporによるPixabayからの画像:マルクス・アウレリウス騎馬像

マルクス・アウレリウス騎馬像(AD161~180年)に代表される騎馬像は、ローマ皇帝が地上の征服者であることを誇示する目的があったようです。その伝統は、ユリウス・カエサルが自らの騎馬像を建立したことに端を発しています。

マルクス・アウレリウス騎馬像は、戦争により領地を拡大していった軍事的英雄といったイメージが希薄なように思えます。その理由としては、騎馬に乗っているとはいえ、鎧を身にまとっていないことが挙げられます。

騎馬が3本の脚で立っている姿は、動きを巧みに表現しています。ちなみに中世の記述によると、地面から離れている右の前足の下には、異民族の主領像がうずくまっていたそうです。

ローマの美術・トラヤヌス帝の記念柱

ローマの美術・トラヤヌス帝の記念柱Valter CirilloによるPixabayからの画像:トラヤヌス広場

ローマの初代皇帝アウグストゥスの時代、皇帝の政治や偉業を称えるために「歴史浮彫」が発達します。凱旋門も建てられた目的は同じです。

上図では「歴史浮彫」の詳細な姿をご紹介できていませんが、画像手前に低い円柱が建ち並び、その後ろにひときわ高い円柱がそびえています。それがAD113年頃に造られた「トラヤヌス帝の記念柱」です。ローマのトラヤヌス広場に建っています。

なんとなくですが、トラヤヌス帝の記念柱に螺旋状の線が見えるかと思います。そこに戦争などをテーマにしたフリーズ(帯状彫刻)が施されています。

画像が間違っていたらごめんなさい。トラヤヌス帝の記念柱の浮彫彫刻はこのような感じです。

ローマの美術・トラヤヌス帝の記念柱【レリーフ】pascal OHLMANNによるPixabayからの画像:トラヤヌス帝の記念柱

まとめ

美術検定・学習
  1. 古代ローマ美術はギリシア美術に影響されている。
  2. 古代ローマ人はコロッセウムなどの巨大な建造物を造る技術を持っていた。

■参考文献

  • 「改訂版 西洋美術の歴史」監修 横山勝彦、半田滋男/編集 美術検定実行委員会/発行 美術出版社
  • 「西洋美術の歴史」著者 H・W・ジャンソン、アンソニー・F・ジャンソン/訳者 木村重信、藤田治彦/発行 創元社

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