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すぐわかる!アルカンジェロ・コレッリとは

すぐわかる!アルカンジェロ・コレッリとは
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17~18世紀の偉大なヴァイオリニストであり、バロック音楽の作曲家でもあったアルカンジェロ・コレッリ。

ヴィヴァルディやヘンデル、バッハより約30歳年長のコレッリは、彼ら偉大な作曲家たちに影響を与えた音楽家のひとりでした。

ここではアルカンジェロ・コレッリの生涯について、わかりやすくご紹介します。

アルカンジェロ・コレッリとは

イタリア・ボローニャイタリア・ボローニャ

1653年(承応2年)2月17日にイタリアのフジニャーノ(現在のエミリア=ロマーニャ州ラヴェンナ県内)で誕生したアルカンジェロ・コレッリ。幼少期についてはほとんど知られていません。コレッリが誕生する5週間ほど前に父親が他界し、母親の実家で育ちました。

コレッリがボローニャに移ったのは1666年(寛文6年)、13歳の時のことです。17歳でボローニャにある音楽期間「アカデミア・フィラルモニカ」の会員になりました。ボローニャでの滞在期間は4年間程だと思われます。その間にコレッリはバイオリンの演奏法や作曲について学びました。

19歳の頃にはフランス・パリで成功し、コレッリの名前はヨーロッパで知られるようになります。パリでの滞在期間は不明です。

1675年(延宝3年)、コレッリはイタリア・ローマでサン・ルイジ・デイ・フランチェージ教会のヴァイオリン奏者になりました。

1679年(延宝7年)には、ローマのカプラニカ劇場で上演されたオペラ「義務と愛と慈悲」でオーケストラの指揮者もしています。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
この当時までのコレッリに対する周囲の認識は、すばらしい「ヴァイオリニスト」だったんじゃないかな。

1681年(延宝9年・天和元年)にドイツに移ったコレッリは、バイエルン選帝侯に仕えます。コレッリが作曲家としての能力を全開にしていくのは、この時期からだと思われます。

  • 1681年(延宝9年・天和元年)
    「トリオ・ソナタ(教会ソナタ)」出版。
  • 1685年(貞享2年)
    「トリオ・ソナタ(室内ソナタ)」出版。
  • 1689年(元禄2年)
    「トリオ・ソナタ(教会ソナタ)」出版。
  • 1694年(元禄7年)
    「トリオ・ソナタ(室内ソナタ)」出版。
  • 1700年(元禄13年)
    「ヴァイオリン・ソナタ」出版
  • 1714年(正徳4年)
    「合奏協奏曲集」出版(コレッリの死の翌年に出版)

ヨーロッパで楽譜が売れに売れ、音楽家として大成功を収めたコレッリでしたが、1708年(宝永5年)にローマに戻り、音楽活動から退きました。

アルカンジェロ・コレッリは1713年(正徳3年)1月8日に59歳で亡くなり、遺体はローマのマルス広場に建つ神殿「パンテオン」に埋葬されました。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
コレッリは財産がたくさんあったらしいよ。
お金以外に、絵画や楽器もね。

なびさんぽで紹介しているアルカンジェロ・コレッリの作品

ローマの美術・パンテオン【外観】Waldo MiguezによるPixabayからの画像:パンテオン【外観】

コレッリの現存している作品数は決して多くはありませんが、合奏協奏曲やトリオソナタ、ヴァイオリンソナタが有名です。

【なびさんぽ】で取り扱ったアルカンジェロ・コレッリの作品をご紹介します。

1712年(正徳2年)頃 「パストラーレ」・合奏協奏曲「クリスマスの夜のために」ト短調 作品6の8から

まとめ

アルカンジェロ・コレッリとは
  1. イタリア出身のバロック音楽の作曲家。
  2. 偉大なヴァイオリニストとしても名を馳せた。
  3. 合奏協奏曲は有名。

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