ヘルベルト・フォン・カラヤンと並び20世紀後半を代表するアメリカの名指揮者レナード・バーンスタインとは、どのような生涯を送ったのでしょうか?
指揮者だけでなく、作曲家、ピアニスト、教育者でもあったレナード・バーンスタイン。バーンスタインの代表作のひとつ「ウェストサイド・ストーリー」は、多くの方に親しまれているミュージカル・映画です。
今回はレナード・バーンスタインの生涯をわかりやすくご紹介します。
レナード・バーンスタインとは

レニーの愛称で知られていたバーンスタインは、1918年(大正7年)8月25日に生まれました。誕生した当初の名前は「ルイス」でしたが、後に「レナード」に改名しました。
父親は理髪店を営んでいて、バーンスタインが音楽家になることには反対だったようです。そのような状況で音楽家への道を選んだのですから、ただならぬ強い意志があったことが伺えます。
バーンスタインはハーバード大学・カーティス音楽院で学び、それぞれ次の方々に師事しています。
- 作曲:ウォルター・ピストン
- 指揮:フリッツ・ライナー、セルゲイ・クーセヴィツキー
- ピアノ:イサベラ・ヴェンゲーロワ
卒業後、すぐには仕事に就けなかったようです。
しかし1943年(昭和18年)、ニューヨーク・フィルハーモニックの副指揮者になっています。1958年(昭和33年)には、ニューヨーク・フィルハーモニックの音楽監督に就任します。
レナード・バーンスタインの時代に改名されたんだ。
バーンスタインが教育者といわれる大きな要因は、大きく2つ挙げられます。
- テレビの教育番組「ヤング・ピープルズ・コンサート」で、クラシック音楽やジャズなどの啓蒙活動(解説を含む)を行なったこと。
- 後進の育成にチカラを注いだこと(弟子には小澤征爾氏や佐渡裕氏がいる)。
テレビ番組に関しては、日本でも「題名のない音楽会」という番組がありますよね。佐渡裕氏が出演されていましたが、師であるバーンスタインの影響もあったのではないかと思います。
毎年夏に開催されるタングルウッド音楽祭では音楽監督を務めていた時期もありました。小澤征爾氏もタングルウッド音楽祭の音楽監督を務めた経験があります。
バーンスタインの想いが、弟子たちにしっかりと引き継がれている感じがします。
指揮者として世界的な知名度を得たレナード・バーンスタイン。
作曲家としては、1957年(昭和32年)にブロードウェイ・ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」の音楽を担当したことで名を馳せます。
しかし、バーンスタインの作曲した作品は他にもあります。
- 交響曲 第1番「エレミア」
- 交響曲 第2番「不安の時代」
- 交響曲 第3番「カディッシュ」
- ミュージカル「オン・ザ・タウン」
- ミュージカル「キャンディード」
- 映画「波止場」の音楽
- 歌劇「タヒチ島の騒動」⇒後に歌劇「静かな場所」に改定。
etc...
バーンスタインは、歌劇(オペラ)の作曲者として成功しい気持ちが強かったようですが…
偉大な指揮者であり作曲家、ピアニスト、教育者であったレナード・バーンスタインは、1990年(平成2年)10月14日に亡くなりました。
なびさんぽで紹介しているバーンスタイン作品

【なびさんぽ】でご紹介しているレナード・バーンスタインの作曲した作品は次の通りです。
≪ウェスト・サイド・ストーリー≫からシンフォニック・ダンス | 1960年(昭和35年)完成。 |
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【なびさんぽ】でご紹介しているレナード・バーンスタインの指揮した作品は次の通りです。
ガーシュイン作曲「ラプソディ・イン・ブルー」 | バーンスタインはピアノと指揮を担当。 |
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バーンスタイン作曲「≪ウェスト・サイド・ストーリー≫からシンフォニック・ダンス」 | 1960年(昭和35年)完成。 |
まとめ
- 20世紀後半を代表するアメリカの名指揮者。
- 交響曲や歌劇(オペラ)の作曲も行なっていた。
- ブロードウェイ・ミュージカル「ウェスト・サイド・ストーリー」の音楽は一世を風靡した。
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