ホセ・アントリネスは17世紀のスペイン・マドリードで活躍した画家です。セビーリャ(セビリア)派のバルトロメ・エステバン・ムリーリョとともに、高い評価を得ていた人物です。
ここではホセ・アントリネスがどのような生涯を送ったのか、おもに「スペイン王室コレクションの美と栄光 プラド美術館展」の図録解説などを基にご紹介します。
ホセ・アントリネスの誕生~修業時代

ホセ・アントリネスは、1635年(寛永12年)にスペイン・マドリードで誕生しました。
ホセの父親は大工を生業としていました。(どうやら、もともとは下級貴族の出身なのだそうです。)
画家の修行をするべくフリアン・ゴンザレス・デ・ベナビデスに師事したホセ・アントリネス。18歳で師匠の娘と結婚しました。
その後は義父のもとを離れ、フランシスコ・リシの工房で働いています。フランシスコ・リッシはボローニャで画家の家に生まれ、建築学的遠近法を用いて作品を描いた宮廷画家でした。フランシスコ・リシの工房では、おもに助手として勤めていたようです。
ホセ・アントリネスの画風について

おもに宗教画を描いていたホセ・アントリネス。少ないながらも肖像画や風俗画、神話画も描いていました。
ホセ・アントリネスの作風は年月とともに変化していきました。
■構図
- 初期の作品:わかりやすくて単純。
- 以降の作品:ダイナミックな構図へと変化。
■色彩
- 徐々に鮮やかな色彩へと変化。
ホセ・アントリネスは、17世紀のスペインで人気の高かった「無原罪の御宿り(無原罪懐胎)」というテーマでも多数作品を描きました。
「無原罪の御宿り(無原罪懐胎)」はカトリック教会の教義のひとつです。バルトロメ・エステバン・ムリーリョやディエゴ・ベラスケス、エル・グレコといった画家たちも、このテーマの作品を描いています。
もうひとつ注目したいのは、ホセ・アントリネスの画業以外の能力についてです。ホセ・アントリネスには画家としての才覚の他に、集客能力の高さという強みがありました。
「良いものさえ作っていれば、いつか評価してくれる人が現れる」というのもありだけれど、時間がどれほど必要になるのかわからないから...
ホセ・アントリネスの最後と作品

ホセ・アントリネスは、1675年(延宝3年)にマドリードで亡くなりました。その埋葬場所はアウグスティノス・レコレトス修道院です。
ホセ・アントリネスの作品をいくつか列挙してみます。
1660年頃 (万治3年) |
肖像画「少女の肖像」 【プラド美術館所蔵(スペイン)】 |
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1662年 (寛文2年) |
集団肖像画「コルネリウス・レルヒェと友人たち」 【コペンハーゲン国立美術館所蔵(デンマーク)】 |
1670年頃 (寛文10年頃) |
風俗画「絵画売り」 【アルテ・ピナコテーク所蔵(ドイツ・ミュンヘン)】 |
1670年頃 (寛文10年頃) |
宗教画「聖ペテロの解放」 【アイルランド国立美術館所蔵】 |

まとめ
- ホセ・アントリーネスは、17世紀にマドリードで活躍した画家。
- お客さんを集める能力にたけていた画家。
- おもに宗教画を描いたと言われるアントリーネスだが、「少女の肖像」のような可愛らしい肖像画も遺している。