レンブラント・ファン・レイン作「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」は、聖書に親しんでいる方であればどの場面かピンとくると思います。
しかし...そうでない方がさらっと観ただけでは、地味な作品に思えてしまうかもしれません。
2003年(平成15年)に国立西洋美術館で開催された「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展の図録をもとに、この作品を再度見つめ直してみます。
レンブラント・ファン・レイン作「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」とは

■レンブラント・ファン・レイン作「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」
- 制作年:1651年
- サイズ:65.0 × 79.0cm
- 油彩、カンヴァス
この作品のテーマ、すなわち「新約聖書 ヨハネによる福音書 第20章」に記載されている、復活されたイエス・キリストがマグダラのマリアに御姿を現された場面の説明は、『これは何の場面?ティツィアーノ・ヴェチェッリオ作「農園のキリスト」|国立西洋美術館「スペイン王室コレクションの美と栄光 プラド美術館展」より』で聖書の言葉の引用とともにお伝えしました。
レンブラントも同じテーマで「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」を描いたことになります。
レンブラントが「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」を制作する約100年前だね。
イエス・キリストがマグダラのマリアに御姿を現されたのは「朝早くまだ暗いうち」のことです。
「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」では、画面左上の木々の上の空が明るくなってきてはいまが、まだまだ暗いですよね。「朝早くまだ暗いうち」という聖書の記述を忠実に再現しようとしたのでしょう。
レンブラントとしては周囲の景色を暗く描くことによって、イエス・キリストとマグダラのマリアが浮かび上がるように観せる効果を狙った可能性も考えられます。
イエス・キリストの左後方には岩が描かれています。おそらくイエス・キリストが葬られた墓なのでしょう。
木々の葉は鬱蒼(うっそう)と生い茂っていますが、寂しさを感じる場所です。聖書では「園」と表現されていますが、お墓のそばなのですから自然なことかもしれません。
イエス・キリストの墓が空になり、誰かが遺体を運び出したと思い嘆くマグダラのマリア。
背後から声をかけたイエス・キリストを、マグダラのマリアは園の番人であると勘違いします。そして、切なる思いを込めてイエス・キリストの遺体を見つけ、引き取ろうと願い出るのでした。
そのようなマグダラのマリアにイエス・キリストは、「マリアよ」と彼女の名前で呼びかけます。その声は彼女がよく耳にしていた声だったのです。
イエス・キリストだと理解したマリアは「ラボニ(先生)」と呼びかけるのでした。
レンブラントの「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」では、マリアが両手を伸ばしてイエス・キリストに触れようとしている仕草が描かれています。
そのときのイエス・キリストの言葉を聖書からご紹介します。
イエスは彼女に言われた、「わたしにさわってはいけない。わたしは、まだ父のみもとに上っていないのだから。ただ、わたしの兄弟たちの所に行って、『わたしは、わたしの父またあなたがたの父であって、わたしの神またあなたがたの神であられるかたのみもとへ上って行く』と、彼らに伝えなさい」。
出典:『新約聖書 ヨハネによる福音書 第20章17節』
176ページ 日本聖書協会
レンブラントが描いたのは、まさにこの場面だったのではないでしょうか。
違うとすれば、マグダラのマリアがイエス・キリストをまだ園の番人だと思って懇願している場面であるとも考えられます。ですが描く立場であれば、イエス・キリストであると認識した後の場面を作品にすることでしょう。
「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」において、イエス・キリストの表情はよくわかりません。やさしく囁(ささや)きかけているように見えますが、作品の状態が良くないのかもしれません。
(違ったら、ごめんなさい。)
それに対してマグダラのマリアの表情はハッキリと見て取ることができます。大きく目を見開き、上目使いに見上げていますよね。
しかし口が閉じられているため、驚いている感じはなく感情がよくわかりません。目で心情を物語っているのでしょう。
マリアの衣装をみると、頭から腹部にかけては白色、その下は青色のように思われます。黒いショールのような物を頭からかぶっています。
黄金色に輝くイエス・キリストの前に跪(ひざまず)くマリアは、金色の光に照らされて非常に美しい女性として描かれています。
「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展の図録解説によると、イエス・キリストのポーズは祝福する姿で、マグダラのマリアの身振りは伝統的な畏敬の念を表現しているのだそうです。
それともうひとつ。「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」の保存状態は、やはり良いとは言えないようです。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインとは

「光と影の画家」と呼ばれ、オランダ・バロック絵画を代表する画家のひとりレンブラント・ファン・レインの生涯については、『すぐわかる!レンブラント・ファン・レインとは|「光と影の画家」の生涯について』をご参照ください。

わたなびはじめの感想:レンブラント「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」について

私の絵画に対する知識が今よりももっと少なかった当時、「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」がレンブラントの作品であることに少し驚きを感じてしまいました。
レンブラントと言えば、アムステルダム国立博物館が所蔵する「夜警」として有名な「フランス・バニング・コック隊長の市警団」や「悲嘆にくれる預言者エレミヤ」、マウリッツハイス美術館が所蔵する「テュルプ博士の解剖学講義」などの作品しか知らなかったからです。
今回ご紹介している「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」は、それまでの私が持っていたレンブラント作品のイメージを大きく変える衝撃を持っていました。
「レンブラントは、このようなタッチ(筆触)の作品も描いていたんだ...」
と、普通に驚きました。
それには、次の2つが影響していたのだと思います。
- マグダラのマリアは鮮明ですが、イエス・キリストの顔がよくわからなかったこと。
- 背景に何が描かれているのかよくわからなかったこと。
今思えば、保存状態も関係していたのでしょう。
とはいえ、さすが「光と影の画家」の作品ですよね。イエス・キリストが黄金色に輝き、マリアにもその光が当たっているといった描写には驚かされます。
最後に、いつものわたなび流の感想で終わります。
レンブラント・ファン・レインの描いた「マグダラのマリアの前に現れるキリスト」は、「美術館で観たい作品」です。
できれば、描かれた当時の状態を観てみたいものです。

まとめ
- 新約聖書 ヨハネによる福音書 第20章に基づいて描かれた作品。
- イエス・キリストが復活されて、マグダラのマリアに声をかけた場面。
- 保存状態はあまりよくない。