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すぐわかる!ウィンズロー・ホーマーとは

すぐわかる!ウィンズロー・ホーマーとは
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19世紀のアメリカ美術界を代表する画家のひとりウィンズロー・ホーマーとは、どのような生涯を送ったのでしょうか?

わかりやすくご紹介します。

ウィンズロー・ホーマーとは

アメリカ・マサチューセッツ州【ボストンの街並み】アメリカ・マサチューセッツ州【ボストンの街並み】

ウィンズロー・ホーマーは、1836年(天保7年)2月24日にマサチューセッツ州ボストンに生まれました。

ウィンズロー・ホーマーの絵にまつわる最初の仕事は新聞の挿絵でした。

1859年(安政6年)にニューヨークで、ナショナル・アカデミー・オブ・デザインで学びます。また、ニューヨーク大学ビルにアトリエを借り、画家として活動を始めます。

ウィンズロー・ホーマーは、身近な自然や人物を多く描きました。しかし脚光を浴びることになったのは、アメリカ南北戦争における北軍・野営地での生活を題材とした油彩や挿絵でした。

1864年(文久4年・元治元年)にはナショナル・アカデミー・オブ・デザインの準会員に、翌1865年(元治2年・慶応元年)には正会員に選出されています。

南北戦争が終わった後、1866年(慶応2年)から約1年間、フランス・パリに滞在します。その間、ミレーらバルビゾン派の画家たちの影響を受けたと言われています。

その後ニューヨークに戻っています。

わたなびはじめ
わたなびはじめ
バルビゾン派とは、フランスのバルビゾン村周辺で農民の風景を描いた絵画の一派のことだよ。

ウィンズロー・ホーマーが画題として関心を持っていたのは、都会の風景よりも田舎や海辺の風景でした。

1880年代に入るとイギリスを旅行し、漁師たちの生活風景を描いています。

1884年(明治17年)、ウィンズロー・ホーマーはアメリカ合衆国メイン州に移り住むことに。ウィンズロー・ホーマーの狩りや漁業、海を描いた作品は、ヨーロッパでも高い評価を得ています。

ウィンズロー・ホーマーはが亡くなったのは、1910年(明治43年)9月29日のことでした。

ウィンズロー・ホーマーの作品

アメリカ・ニューヨークアメリカ・ニューヨーク

ウィンズロー・ホーマーの作品の一部をご紹介します。

  • 二枚貝の篭:1873年制作。
    【メトロポリタン美術館所蔵】
  • 風が強まる:1876年制作。
    【ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵】
  • キツネ狩り:1893年制作。
    【ペンシルベニア美術アカデミー所蔵】
  • メキシコ湾流:1899年制作。
    【メトロポリタン美術館所蔵】
  • 右と左:1909年制作。
    【ワシントン・ナショナル・ギャラリー所蔵】
わたなびはじめ
わたなびはじめ
日本では「ワシントン・ナショナル・ギャラリー」という呼び方で親しまれているけれど、ワシントンD.C.の国立美術館「ナショナル・ギャラリー・オブ・アート」のことなんだよ。

なびさんぽで紹介しているウィンズロー・ホーマー作品

ボストン美術館ボストン美術館

【なびさんぽ】でご紹介しているウィンズロー・ホーマーの作品は次の通りです。

黄色いジャケット 1879年制作。
【クーパー=ヒューイット美術館所蔵】
林檎の花を摘む娘 1879年制作。
【クーパー=ヒューイット美術館所蔵】

まとめ

ウィンズロー・ホーマーとは
  1. ウィンズロー・ホーマーは、19世紀のアメリカ美術界を代表する画家のひとり。
  2. バルビゾン派の画家から影響を受けた。
  3. ナショナル・アカデミー・オブ・デザインの正会員になった人物。

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