19~20世紀にかけて活躍したドイツの音楽家R.シュトラウス。交響詩と歌劇で有名な後期ロマン派の作曲家です。
R.シュトラウスはどのような生涯を送ったのでしょうか?
わかりやすくご紹介します。
R.シュトラウス、誕生~大学まで

R.シュトラウスは、バイエルン王国・ミュンヘンで1864年(文久4年・元治元年)6月11日に生まれました。
父親はミュンヘン宮廷歌劇場の首席ホルン奏者でした。R.シュトラウスは幼い頃から父親に音楽を教わりました。
1882年(明治15年)、ミュンヘン大学に進んだR.シュトラウスでしたが、1年後にはベルリンに引っ越しています。
R.シュトラウス、音楽家としての活躍と最期

その後、指揮者でありピアニストでもあったハンス・フォン・ビューローの補助指揮者になり、指揮法について学びます。1885年(明治18年)、ハンス・フォン・ビューロー引退後には、その後任に就きました。
このような機会に恵まれるからには、R.シュトラウスという人物は豊かな音楽的才能を持ち合わせていたのでしょう。
R.シュトラウスは指揮者として活躍するだけでなく、作曲活動にも取り組んでいました。指揮者の弟子には、あのカール・ベームもいます。
指揮者としてのR.シュトラウスは、ミュンヘンやベルリン、ウィーンの名だたる歌劇場で要職を務めるほどでした。1894年(明治17年)には、バイロイト音楽祭にて「タンホイザー」を指揮しています。
作曲家としてのR.シュトラウスの代表作を一部紹介します。
- 交響詩「ドン・ファン」【1888年】
- 歌劇「グントラム」【1894年】
- 交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」【1895年】
- 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」【1896年】
- 交響詩「ドン・キホーテ」【1897年】
- 交響詩「英雄の生涯」【1898年】
- 歌劇「ばらの騎士」【1910年】
- アルプス交響曲【1915年】
R.シュトラウスの作品は、全て初演から大成功というわけではありませんでした。
その初演は賛否両論の結果だったんだ。
それに対して1911年(明治44年)1月26日にドレスデン宮廷歌劇場で初演された歌劇「ばらの騎士」は、超大成功だったりもする。
R.シュトラウスの名を広めることになった要因としては、映画でその音楽が使用されたこともあげられます。
交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」が、スタンリー・キューブリック監督の「2001年宇宙の旅」で使用されたのです。しかしこれはR.シュトラウスが亡くなったあとのことでした。
R.シュトラウスは、ドイツ・ガルミッシュ=パルテンキルヒェンにて、1949年(昭和24年)9月8日に亡くなりました。
なびさんぽで紹介しているR.シュトラウス作品

【なびさんぽ】で紹介しているR.シュトラウスの作品は次の通りです。
交響詩「死と浄化」 | 1889年(明治22年)作曲。 初演では、R.シュトラウス自身が指揮者を務めた。 |
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交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」 | 1895年(明治28年)作曲。 14世紀の北ドイツに実在したと言われる、ティル・オイレンシュピーゲルの物語がベースになっている作品。 |
交響詩「英雄の生涯」 | 1898年(明治31年)作曲。 副題には「-大管弦楽のための交響詩-」とあり、演奏に際しては4管編成のオーケストラ(105名)が必要に。 |
まとめ
- R.シュトラウスは、後期ロマン派のドイツの音楽家。
- 交響詩と歌劇の作曲で有名。
- 交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」は、S・キューブリック監督の映画「2001年宇宙の旅」で使用された。