レンブラントが旧約聖書を基に制作した「モーセと十戒の石板」。
2003年(平成15年)に国立西洋美術館で開催された「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展で鑑賞した作品です。
モーセが十戒の刻まれた石板を掲げる(打ち砕こうとする)様子が描かれています。
失礼なことを言ってゴメンナサイ。
レンブラント・ファン・レイン作「モーセと十戒の石板」とは

■レンブラント・ファン・レイン作「モーセと十戒の石板」
- 制作年:1659年
- サイズ:168.5 × 136.5cm
- 油彩、カンヴァス
「モーセと十戒の石板」は、レンブラントが亡くなる約10年前に制作された作品です。旧約聖書に登場するモーセが描かれています。
旧約聖書の預言者モーセについて
モーセについては『ガスパレ・ディツィアーニ作 「モーセの発見」』でも少し触れたことがありました。イスラエルの民でありながら、エジプトのパロの娘の子として育てられたのです。
その後モーセは、苦役を課されていたイスラエルの民を率いてエジプトを脱出します。モーセは神様(主)により召された(選ばれ任じられた)預言者として、古代イスラエルの民の指導的立場に立ったのです。
ところが、イスラエルの民は必ずしも神様(主)に忠実であったわけではありませんでした。モーセに導かれてエジプトを脱出したものの、水や食物のことで不平を漏らします。
イスラエルの民がシナイ山(ホレブ山)の麓(ふもと)に宿営していたとき、モーセは神様(主)にシナイ山の頂に登るように指示を受けます。そこで教えや十戒、律法などを授けられました。
その後イスラエルの民は、神様(主)に従うと聖約したのです。(出エジプト記 第24章3節参照。)
そして、モーセが神様(主)から「律法と戒めとを書きしるした石の板」を授かるときがきます。
ときに主はモーセに言われた、「山に登り、わたしの所にきて、そこにいなさい。彼らを教えるために、わたしが律法と戒めとを書きしるした石の板をあなたに授けるであろう」。
出典:『旧約聖書 出エジプト記 第24章12節』
109ページ 日本聖書協会
主はシナイ山でモーセに語り終えられたとき、あかしの板二枚まい、すなわち神が指をもって書かれた石の板をモーセに授けられた。
出典:『旧約聖書 出エジプト記 第31章18節』
121ページ 日本聖書協会
イスラエルの民は、モーセがなかなか戻らないことに不安や疑念を抱いたのかもしれません。モーセがシナイ山(ホレブ山)で神様の指示を受けている間、イスラエルの民は鋳物で金の子牛を造り、拝んでいたのです。その行為は、すでに十戒を授かり、まことの生ける神様(主)に従うと聖約していたイスラエルの民のすべきことではありませんでした。
そして、レンブラントが描いた可能性のある場面になります。
モーセは身を転じて山を下った。彼の手には、かの二枚のあかしの板があった。板はその両面に文字があった。すなわち、この面にも、かの面にも文字があった。
その板は神の作、その文字は神の文字であって、板に彫ったものである。出典:『旧約聖書 出エジプト記 第32章15~16節』
122ページ 日本聖書協会
モーセがシナイ山(ホレブ山)から持ち帰った石板には神様(主)の律法が記されていました。
モーセが宿営に近づくと、子牛と踊りとを見たので、彼は怒りに燃え、手からかの板を投げうち、これを山のふもとで砕いた。
出典:『旧約聖書 出エジプト記 第32章19節』
122ページ 日本聖書協会
預言者モーセは複雑な気持ちだったことでしょう。神様(主)に従うと聖約したはずの民が、ほどなくして神様(主)ではないものを拝んだのですから。
その後モーセは、石の板を用意するように命じられます。
主はモーセに言われた、「あなたは前のような石の板二枚を、切って造りなさい。わたしはあなたが砕いた初めの板にあった言葉を、その板に書くであろう。
出典:『旧約聖書 出エジプト記 第34章1節』
124ページ 日本聖書協会
モーセは主と共に、四十日四十夜、そこにいたが、パンも食べず、水も飲まなかった。そして彼は契約の言葉、十誡を板の上に書いた。
出典:『旧約聖書 出エジプト記 第34章28節』
126ページ 日本聖書協会
レンブラントが「モーセと十戒の石板」で描いた場面が、一度目に石板(あかしの板)を持ち帰ったときなのか、二度目なのかはわかりません。
おそらくレンブラントは、モーセが一度目に石板を持ち帰り、打ち砕く直前の場面を描いたのだと思います。二枚の石板を高く頭上に持ち上げているからです。二度目に石板を持ち帰ったとき、モーセの顔は光を放っていたのですが、作品からはその様子が感じられません。
「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展の図録解説によると、レンブラントは「モーセと十戒の石板」で石板の文字をヘブライ語で描いているようです。
レンブラントの「モーセと十戒の石板」に対する私の個人的な見解は次の通りです。
- レンブラントは、モーセが一度目に石板を持ち帰ったときの場面を描いた。
レンブラントの「モーセと十戒の石板」を観てみよう!
ここからは、「モーセと十戒の石板」の作品にフォーカスしてみましょう。
作品全体が茶色がかっていて、その中でも一番明るい顔周辺に鑑賞者の視線は向かいます。次に視線が向かうのは、黒色で表現された石板でしょう。岩肌だけでなくモーセの衣類も茶色なので、個人的には冴えない感じを受けてしまいます。
光はモーセの左側から差し込んでいるのでしょうか?石板には当たっていないようですね。
石板を持っていることから預言者モーセだと連想はできますが、何となく人物の描かれ方がしっくりきません。首~頭部と体のバランスに違和感を感じるからでしょうか。(個人の感想です。ゴメンナサイ。)
モーセの表情は、怒りに燃えているというよりも、嘆きや悲しみに近い気がします。石板も投げつけるようには見えませんね。
レンブラントの作品が好きな私ですが、この作品には色調や人物の躍動感など、何か物足りなさを感じました。
レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインとは

「光と影の画家」と呼ばれ、オランダ・バロック絵画を代表する画家のひとりレンブラント・ファン・レインの生涯については、『すぐわかる!レンブラント・ファン・レインとは|「光と影の画家」の生涯について』をご参照ください。

わたなびはじめの感想:レンブラント・ファン・レイン作「モーセと十戒の石板」について

レンブラントの作品なのに「なぜかそれほど好きになれない...」というのが、「モーセと十戒の石板」に対する正直な感想です。
モーセの首が少し傾いていることで、力強さを感じないからでしょうか。あるいは画面が茶色に偏っていることで、単調な印象を受けるからなのかもしれません。シナイ山(ホレブ山)の岩肌も、険しさよりも温かみを感じますよね。(実際、どうなのかわかりません。)
「悲嘆にくれる預言者エレミヤ」と比べると、「本当に同じ人が描いたの?」と感じてしまいます。
最後に、いつものわたなび流の感想で終わります。
レンブラント・ファン・レイン作「モーセと十戒の石板」は、「美術館で鑑賞したい(欲しいとは思わない)作品」です。
勝手な感想です。すみません。
まとめ
- レンブラントの亡くなる約10年前に制作された作品。
- 旧約聖書の預言者モーセが描かれている。
- 石板の文字はヘブライ語で描かれている。