多くの自画像を遺していることでも知られるレンブラント。
2003年(平成15年)に国立西洋美術館で開催された「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展では、エッチングによるレンブラントの自画像が展示されていました。
素朴な疑問だけれど…
レンブラントの自画像のなかでも有名な作品「石のてすりにもたれる自画像」を見てみましょう。
レンブラント・ファン・レイン作「石のてすりにもたれる自画像」とは

■レンブラント・ファン・レイン作「石のてすりにもたれる自画像」
- 制作年:1639年
- サイズ:20.5 × 16.4cm
- エッチング
現在、確認されている作品だけでも100点に近い数が存在すると言われているレンブラントの自画像。レンブラントは若い頃から晩年に至るまで自画像を制作していました。自画像には油彩画だけでなく、今回ご紹介しているエッチングも存在しています。
レンブラントの活躍した1600年代のオランダで、画家自身の自画像にそれほど需要があったのでしょうか?
少なくとも画家として絶頂期を迎えるまでは、それほど買い手はいなかったであろうと思われます。そうであるとすれば、レンブラントは自らをモデルとして自画像を描くことで、絵画の研究をしていたのでしょう。人物の表情や構図、衣類の質感の表現等々…
多彩な表情の表現や光と影による明暗を研究していたのかもしれないね。
今回ご紹介している「石のてすりにもたれる自画像」は、「レンブラントとレンブラント派-聖書、神話、物語」展の図録解説によると、レンブラントの自画像の版画としてはもっとも著名な作品だろうとのこと。
また、ラファエロの「カスティリオーネの肖像」【ルーブル美術館所蔵】やティツィアーノの「詩人アリオストの肖像」【ロンドン・ナショナル・ギャラリー所蔵】に触発されていたといった趣旨の記述もありました。
ラファエロと言えば、16世紀に活躍した盛期ルネサンスの三大巨匠のひとりに数えらる人物。(他の二人は、レオナルド・ダ・ヴィンチとミケランジェロ。)ティツィアーノも16世紀のイタリアで活躍した、ヴェネツィア派で最も重要な画家のひとりです。レンブラントは、自分の生きた少し前の著名な画家の影響を受けたと考えられます。
もしかすると、ライバル心を抱いていた可能性も否定できません。「石のてすりにもたれる自画像」は巨匠感漂う作品ですが、レンブラントが30代前半だった頃の姿。「テュルプ博士の解剖学講義」などで高い評価を得ていましたが、まだ「フランス・バニング・コック隊長とウィレム・ファン・ライテンブルフ副隊長の市民隊(通称:夜警)」を描く以前です。
窓枠などに片手を置くポージングは、ルネサンス期の肖像画に多くみられる構図です。威厳というか、重々しい雰囲気を感じさせます。
レンブラントの「石のてすりにもたれる自画像」は、体を左に向け、左手の肘を手すりに置き、顔を90度回転させて鑑賞者をジッと見つめています。画面における余白の占める割合は広めです。
広く抜け感のある構図からは解放感が感じられます。「自分だけに注目してほしい!」という思いが伝わってきそうです。そのために余計なものは一切排除し、手すりだけを描いたのでしょう。何も描かれていない空間を示されると、鑑賞する側が勝手に様々なイメージを膨らませる楽しみも生じますよね。この際、手すりが建物の中か外かは関係ありません。
上半身しか描けれていませんが、手すりと腕の位置関係から想像するに、レンブラントはそれほど高身長ではなかったのではないかと思います。背が高い印象を与えたいならば、画面いっぱいに自画像を描いた方が良かったと思いますが、本人は気にしていなかったのでしょう。
個人的には、毛髪の表現に驚かされます。カールのかかった髪の毛のボリューム感と繊細さが見事です。どうすればこのように表現できるのか、私には理解不能です。
とにもかくにも、スゴイ人物である感じが伝わってくる作品であることは間違いありません。
「石のてすりにもたれる自画像」に描かれたレンブラントは、上り調子で、向かうところ敵なしといった心境だったのかもしれませんね。
腕を窓枠に置いているポーズの作品は、↓ にもありますよ。

レンブラント・ハルメンスゾーン・ファン・レインとは

「光と影の画家」と呼ばれ、オランダ・バロック絵画を代表する画家のひとりレンブラント・ファン・レインの生涯については、『すぐわかる!レンブラント・ファン・レインとは|「光と影の画家」の生涯について』をご参照ください。

わたなびはじめの感想:レンブラント「石のてすりにもたれる自画像」について

レンブラントの「石のてすりにもたれる自画像」についてあらためて思い巡らすうちに、中学校の美術の時間に、割り箸の先に針を挟んで固定して、プラスチックの板を削った版画をしたことを思い出しました。それも「エッチング」と呼んでいた気がします。
随分と昔の話です。
昨日の妻との会話で、北海道ゆかりの有名人の話題で盛り上がりました。大泉洋氏らのTEAM NACS、松山千春氏、北島三郎氏、辻仁成氏、ドリカムの吉田美和氏、GLAY、JUDY AND MARYのYUKIさんなど。
ジュディマリのYUKIさんは、私が住んでいた場所から割と近い学校に通われていたことを知りました。
GLAYも同世代。
自分の住んでいた函館のことにも疎い生活を送っていたんだな~って、寂しい気持ちになったよ…
それで、Gogleマップで函館を眺めてみたのです。
すると、自分の通っていた小学校と中学校の名称が変わっていたのです。小学校については、校舎が新しくなったことは知っていました。中学校も建て替えられていて、名称も変わっているなんて… 古い建物でしたから仕方がないことですが、寂しい気持ちを感じずにはいられませんでした。
そうそう、レンブラントの「石のてすりにもたれる自画像」です。
私が10代で体験したエッチングからは、全く想像もできない表現力に驚かされました。しかも刷ってみないと、思い通りの表現ができているかわからないわけですよね。レンブラントや美術を学ばれている方は、ある程度完成をイメージできるのかもしれませんが、私は全然ダメです。
それゆえに、美術作品を鑑賞するのが楽しみで仕方ありません。
最後に、いつものわたなび流の感想で終わります。
レンブラントの「石のてすりにもたれる自画像」は、「美術館で鑑賞したい(欲しいとまでは思わない)作品」です。
金銭的な価値とかは関係なく、自分の生活風景に「石のてすりにもたれる自画像」がある様子にピンとこないからです。
まとめ
- レンブラント、30代前半の肖像画。
- ラファエロやティツィアーノの作品に影響されていると思われる。
- 余白の使い方が大胆で毛髪の表現が繊細。